カンブルラン~SWRのヘンスラー録音 [クラシックCD]
南西ドイツ放送交響楽団(SWR)をカンブルランが指揮した3枚のCDを聴きました。ドビュッシーが1枚とバレエ・リュスゆかりの曲を集めた2枚です。カンブルランを聴くのは初めてのことになりますが、これら3枚に収められた曲はどの曲も好きな曲なので、好きな曲の新譜ということで聴いてみました。まず、ドビュッシーから。
このドビュッシーの1枚には、オーケストラのための「3つの映像」の全曲と「海」そして、おまけとして「神聖な舞曲と世俗の舞曲」が収められています。
ヘンスラーの録音はワンポイントのような極めて自然で率直な癖のない録音で、カンブルランとSWRの色彩的なオーケストラの演奏がガラス細工を見るかのように繊細な音で再生されます。メジャーレーベルの鮮明ながらもキツく人工的なバランスの録音に疑問を持つ者としては、こういうマイナーレーベルによる自然な録音に接するとホッとします。
SWRは初代の常任指揮者ハンス・ロスバウト以降、現代音楽の演奏に定評のあるオーケストラとして知られていますが、現在の常任がフランス人のこのカンブルランになります。カンブルランは、現代音楽を色彩的に聴かせることで定評のある指揮者のようです。
ここに収められた3曲のうちでは、やはり「海」が聴きものです。もしかしたら、この「海」は私にとってのデジタルステレオ録音のハイスタンダード盤に数えてもよい録音かもしれません。カンブルランの指揮の傾向はブーレーズやサロネンのような分析タイプに属するのかしれませんが、ヘンスラーの自然な録音のおかげか、指揮者の存在を忘れさせて、曲そのものの響きの魅力をこれほど率直に味わえる演奏はほかにはありません。それもカンブルランの手腕なのかもしれませんが。
この曲は、私にとってはバルビローリ~パリ管の演奏が最上です。パリ管を指揮したバルビローリの録音は唯一、ドビュッシーの「海」と「夜想曲」のみが残されましたが、これら2曲がバルビローリ~パリ管の演奏で残されていたというのは、極めて幸せなことです。なかでも海はこんなにチャーミングかつロマンチックな海は他にありません。カンブルラン盤はこのバルビローリ盤の癖をすべて払拭して、なおかつ少しも物足りなさを感じさせない演奏といったらいいでしょうか。バルビローリとカンブルランの共通性は、他の指揮者では皆素通りされてしまっているドビュッシーがスコアに書いている響きの面白さが、総て丁寧に掬い取られているところです。
続く2枚はバレエ・リュスシリーズで、共にバレエ・リュスの衣装と舞台のアートディレクションを担当したレオン・バクストの衣装デザインのスケッチがジャケットに採用されています。こちらのジャケットはラ・ペリの衣装デザインから取られているようです。
この1枚はストラヴィンスキーの「春の祭典」、ドビュッシーの「遊戯」、デュカスの「ラ・ペリ」が収録され、ラ・ペリはファンファーレまで付いているという盛りだくさんの内容になっています。ラ・ペリのファンファーレはその昔、アンセルメ~スイスロマンド管のデッカ盤の演奏でAMラジオのステレオ放送(何とモノーラル2局を使ってのステレオ放送)のクラシック番組のタイトルに使われていた懐かしい曲です。
さて、この盤のお目当てはストラヴィンスキーの「春の祭典」ですが、カンブルランが「ハルサイ」を振るとどうなるか、非常に興味をそそられるところです。結果は予想通り、全くのケレンのない正攻法の演奏でした。その分、私には物足りなさも残るところですが、カンブルランという指揮者の仕事の丁寧さは確認できました。
最後の1枚は同じくバレエ・リュスシリーズで、こちらはジャケットにも採用されているドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」のほか、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」、シュミットの「サロメの悲劇」という、これまた盛りだくさんの内容です。ペトルーシュカは4管の1911年の原典版ではなく、3管編成でグロッケンシュピールも入らない47年の改訂版で演奏されています。サロメには声楽も加えらています。
牧神はカンブルラン~SWRの繊細な演奏がヘンスラーらしい率直な録音で楽しめますが、強調感がないのはいいとしても、2台のハープは、いかに何でもこれでは弱すぎるのではないでしょうか。オーケストラの中のハープの実音のバランスはこんなものかもしれませんが、カンブルランはこのバランスを許可したのでしょうか。
ペトルーシュカは対抗盤も多く、47年版ということもあり、カンブルランの丁寧な演奏が食い込むのは少々苦しいところですが、サロメの悲劇はもしかしたら、マルティノン盤を上回る出来かもしれません。少しも曲の怪異性は強調していないのに、マルティノンよりもさらに冷静に曲が見つめられている分、曲想の幻想性がよりリアルに伝わります。
以上の3枚、さらに凄い演奏があるのは承知の上で、これはこれで聴けて良かったという満足感を与えられる演奏でした。カンブルランは2010年の4月から読響の常任に就任するということなので、そちらも楽しみにしたいと思います。
このドビュッシーの1枚には、オーケストラのための「3つの映像」の全曲と「海」そして、おまけとして「神聖な舞曲と世俗の舞曲」が収められています。
ヘンスラーの録音はワンポイントのような極めて自然で率直な癖のない録音で、カンブルランとSWRの色彩的なオーケストラの演奏がガラス細工を見るかのように繊細な音で再生されます。メジャーレーベルの鮮明ながらもキツく人工的なバランスの録音に疑問を持つ者としては、こういうマイナーレーベルによる自然な録音に接するとホッとします。
SWRは初代の常任指揮者ハンス・ロスバウト以降、現代音楽の演奏に定評のあるオーケストラとして知られていますが、現在の常任がフランス人のこのカンブルランになります。カンブルランは、現代音楽を色彩的に聴かせることで定評のある指揮者のようです。
ここに収められた3曲のうちでは、やはり「海」が聴きものです。もしかしたら、この「海」は私にとってのデジタルステレオ録音のハイスタンダード盤に数えてもよい録音かもしれません。カンブルランの指揮の傾向はブーレーズやサロネンのような分析タイプに属するのかしれませんが、ヘンスラーの自然な録音のおかげか、指揮者の存在を忘れさせて、曲そのものの響きの魅力をこれほど率直に味わえる演奏はほかにはありません。それもカンブルランの手腕なのかもしれませんが。
この曲は、私にとってはバルビローリ~パリ管の演奏が最上です。パリ管を指揮したバルビローリの録音は唯一、ドビュッシーの「海」と「夜想曲」のみが残されましたが、これら2曲がバルビローリ~パリ管の演奏で残されていたというのは、極めて幸せなことです。なかでも海はこんなにチャーミングかつロマンチックな海は他にありません。カンブルラン盤はこのバルビローリ盤の癖をすべて払拭して、なおかつ少しも物足りなさを感じさせない演奏といったらいいでしょうか。バルビローリとカンブルランの共通性は、他の指揮者では皆素通りされてしまっているドビュッシーがスコアに書いている響きの面白さが、総て丁寧に掬い取られているところです。
続く2枚はバレエ・リュスシリーズで、共にバレエ・リュスの衣装と舞台のアートディレクションを担当したレオン・バクストの衣装デザインのスケッチがジャケットに採用されています。こちらのジャケットはラ・ペリの衣装デザインから取られているようです。
この1枚はストラヴィンスキーの「春の祭典」、ドビュッシーの「遊戯」、デュカスの「ラ・ペリ」が収録され、ラ・ペリはファンファーレまで付いているという盛りだくさんの内容になっています。ラ・ペリのファンファーレはその昔、アンセルメ~スイスロマンド管のデッカ盤の演奏でAMラジオのステレオ放送(何とモノーラル2局を使ってのステレオ放送)のクラシック番組のタイトルに使われていた懐かしい曲です。
さて、この盤のお目当てはストラヴィンスキーの「春の祭典」ですが、カンブルランが「ハルサイ」を振るとどうなるか、非常に興味をそそられるところです。結果は予想通り、全くのケレンのない正攻法の演奏でした。その分、私には物足りなさも残るところですが、カンブルランという指揮者の仕事の丁寧さは確認できました。
最後の1枚は同じくバレエ・リュスシリーズで、こちらはジャケットにも採用されているドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」のほか、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」、シュミットの「サロメの悲劇」という、これまた盛りだくさんの内容です。ペトルーシュカは4管の1911年の原典版ではなく、3管編成でグロッケンシュピールも入らない47年の改訂版で演奏されています。サロメには声楽も加えらています。
牧神はカンブルラン~SWRの繊細な演奏がヘンスラーらしい率直な録音で楽しめますが、強調感がないのはいいとしても、2台のハープは、いかに何でもこれでは弱すぎるのではないでしょうか。オーケストラの中のハープの実音のバランスはこんなものかもしれませんが、カンブルランはこのバランスを許可したのでしょうか。
ペトルーシュカは対抗盤も多く、47年版ということもあり、カンブルランの丁寧な演奏が食い込むのは少々苦しいところですが、サロメの悲劇はもしかしたら、マルティノン盤を上回る出来かもしれません。少しも曲の怪異性は強調していないのに、マルティノンよりもさらに冷静に曲が見つめられている分、曲想の幻想性がよりリアルに伝わります。
以上の3枚、さらに凄い演奏があるのは承知の上で、これはこれで聴けて良かったという満足感を与えられる演奏でした。カンブルランは2010年の4月から読響の常任に就任するということなので、そちらも楽しみにしたいと思います。
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