サイの三つの側面-ファジル・サイは何処へ行くのか? [クラシックCD]
この13年10月にトルコ出身のピアニスト、ファジル・サイの来日公演があります。私がサイを初めて知ったのはCDショップで偶然眼にして購入したバッハの一枚でした。フランス組曲第6番、平均律第一巻第一曲、ブゾーニ編のシャコンヌなどが収められています。
これが眼から鱗の新鮮さ!! サイにはポスト・グールドとしての新しいキーボード奏者としての側面と、超絶テクニックを誇るヴィルトゥオーゾ・ピアニストとしての両側面があることがわかりました。前者の側面は平均律第一巻ハ長調に顕著です。一見サラサラと流れながらも、得も言われないニュアンスに溢れていて、グールド以後、誰がこれほどこの曲を新鮮に聴かせてくれたことでしょうか。後者の側面はブゾーニ編のシャコンヌにうかがえます。そのバリバリと弾き進めながら、整然と組み立てられた美音。その凄いこと!!
そして二枚目に聴いたのがモーツァルトでした。ソナタの第10、11、13番にキラキラ星変奏曲が収録されています。
このモーツァルトも、ポスト・グールドにふさわしい新しいキーボード奏者としての眼差しが新鮮な一枚でした。圧巻はイ長調ソナタのトルコマーチ。おおよそ20種以上ほど所有しているトルコマーチの中でも、サイのテンポは最も速いものに属し、その急速なテンポの中に呆れるような、あっと驚くサイならではの魔法のようなニュアンスが閉じ込められています。その後、敬愛する評論家宇野功芳氏が、このトルコマーチを絶賛されていたのを音楽誌で読み、まさに我が意を得る思いがしました。
これですっかりサイのファンになり、初来日以降サイの追っかけと化し、東京公演は欠かさず出かけるようになり、一回の来日に際し二晩のコンサートに通ったこともありました。初来日ではブゾーニ編のシャコンヌも披露されましたが、たまたま会場に居合わせた評論家の故・黒田恭一氏が呆れ顔で「凄いね!!」といっていたのが印象に残っています。
実際に見るサイは、バッハの童顔のジャケットの印象とは異なる立派な体躯の持ち主の偉丈夫だったのにも驚かされました。
その後もサイのCDの新譜は必ず購入していましたが、レーベルがワーナーからナイーブに移り、日本ではエイベックスから発売されるようになりました。ところが、ワーナー時代最後のチャイコフスキーのピアノ協奏曲ぐらいから、サイの演奏が個人的にはあまり面白く聴けなくなってきました。ピアニストというより、新しいキーボード奏者という側面は変わらないのですが、サイはますますヴィルトゥオーゾとしての側面を強めてきたようです。でも、ヴィルトゥオーゾとしての側面をこの曲に聴きたいのであれば、サイ以外にもっともっと面白く聴かせてくれるピアニストは他にいます。
そして、あんなに期待していたモーツァルトもナイーブから発売された協奏曲では、なぜかソナタの新鮮さが感じられません。やはり期待していたベートーヴェンのソナタも、グールドのベートーヴェン同様、キーボード曲としての新鮮さは感じられるものの、ベートーヴェンの表現の深部には触れられていないもどかしさが残ります。従来のピアノ曲としてではなく、新たに完璧なキーボード曲として見事に再構築されたムソルグスキーの「展覧会の絵」も、私にはポゴレリッチのピアノ曲に徹した演奏の方がはるかに面白く聴こえます。
サイの「展覧会の絵」については本ブログの下記の項目で取り上げています。
http://fantasia.blog.so-net.ne.jp/2008-11-22
http://fantasia.blog.so-net.ne.jp/2012-09-2
その後も来日コンサートには必ず行っていましたが、サイのヴィルトゥオーゾとしての側面は聴くたびに強くなっていきました。そんな中、ハイドンのソナタの一枚は久々にバッハ、モーツァルトのソナタ以来の新鮮なハイドンを聴かせてくれました。
どうやら、ベートーヴェンより前の世代の古典派のピアノ曲におけるサイならではのピュアなキーボード奏者としてのユニークな斬新さは健在のようです。ピアノのお稽古用で有名な第35番ハ長調ソナタは来日公演でも取り上げられましたが、コロコロと弾むオルゴールように軽やかなタッチが魔法のようなチャームを撒き散らしています。
サイは今、ベートーヴェン以降のヘヴィーなヴィルトゥオーゾ曲に、現代曲も含めて関心が高いようです。この度の来日コンサートは残念ながら、日程の関係で行けませんが、そこでのプログラムはベート-ヴェンの32番のソナタやリスト編のワーグナー「イゾルデの愛の死」などを含むヘヴィーな内容です。
サイにはもうひとつ、ジャズや中近東音楽とのフュージョンや、自作を含む実験的キーボード奏者としての側面があります。ただそれらの中でも、ますますヴィルトゥーゾとしての側面を強めていくかに見える近年のサイですが、個人的にはバッハの組曲や平均律、ハイドンやモーツァルトのソナタに聴かれるようなピュアなキーボード音楽としての世界をもっと深めてもらいたいところです。スカルラッティはまだ録音はありませんが、サイならさぞかしチャーミングに弾いてくれそうです。
シャコンヌ!~サイ・プレイズ・バッハ ファジル・サイ(p)
トルコ行進曲~サイ・プレイズ・モーツァルト ファジル・サイ(p) トルコ行進曲~サイ・プレイズ・モーツァルト ファジル・サイ(p)
ピアノ・ソナタ集 ファジル・サイ(p)
これが眼から鱗の新鮮さ!! サイにはポスト・グールドとしての新しいキーボード奏者としての側面と、超絶テクニックを誇るヴィルトゥオーゾ・ピアニストとしての両側面があることがわかりました。前者の側面は平均律第一巻ハ長調に顕著です。一見サラサラと流れながらも、得も言われないニュアンスに溢れていて、グールド以後、誰がこれほどこの曲を新鮮に聴かせてくれたことでしょうか。後者の側面はブゾーニ編のシャコンヌにうかがえます。そのバリバリと弾き進めながら、整然と組み立てられた美音。その凄いこと!!
そして二枚目に聴いたのがモーツァルトでした。ソナタの第10、11、13番にキラキラ星変奏曲が収録されています。
このモーツァルトも、ポスト・グールドにふさわしい新しいキーボード奏者としての眼差しが新鮮な一枚でした。圧巻はイ長調ソナタのトルコマーチ。おおよそ20種以上ほど所有しているトルコマーチの中でも、サイのテンポは最も速いものに属し、その急速なテンポの中に呆れるような、あっと驚くサイならではの魔法のようなニュアンスが閉じ込められています。その後、敬愛する評論家宇野功芳氏が、このトルコマーチを絶賛されていたのを音楽誌で読み、まさに我が意を得る思いがしました。
これですっかりサイのファンになり、初来日以降サイの追っかけと化し、東京公演は欠かさず出かけるようになり、一回の来日に際し二晩のコンサートに通ったこともありました。初来日ではブゾーニ編のシャコンヌも披露されましたが、たまたま会場に居合わせた評論家の故・黒田恭一氏が呆れ顔で「凄いね!!」といっていたのが印象に残っています。
実際に見るサイは、バッハの童顔のジャケットの印象とは異なる立派な体躯の持ち主の偉丈夫だったのにも驚かされました。
その後もサイのCDの新譜は必ず購入していましたが、レーベルがワーナーからナイーブに移り、日本ではエイベックスから発売されるようになりました。ところが、ワーナー時代最後のチャイコフスキーのピアノ協奏曲ぐらいから、サイの演奏が個人的にはあまり面白く聴けなくなってきました。ピアニストというより、新しいキーボード奏者という側面は変わらないのですが、サイはますますヴィルトゥオーゾとしての側面を強めてきたようです。でも、ヴィルトゥオーゾとしての側面をこの曲に聴きたいのであれば、サイ以外にもっともっと面白く聴かせてくれるピアニストは他にいます。
そして、あんなに期待していたモーツァルトもナイーブから発売された協奏曲では、なぜかソナタの新鮮さが感じられません。やはり期待していたベートーヴェンのソナタも、グールドのベートーヴェン同様、キーボード曲としての新鮮さは感じられるものの、ベートーヴェンの表現の深部には触れられていないもどかしさが残ります。従来のピアノ曲としてではなく、新たに完璧なキーボード曲として見事に再構築されたムソルグスキーの「展覧会の絵」も、私にはポゴレリッチのピアノ曲に徹した演奏の方がはるかに面白く聴こえます。
サイの「展覧会の絵」については本ブログの下記の項目で取り上げています。
http://fantasia.blog.so-net.ne.jp/2008-11-22
http://fantasia.blog.so-net.ne.jp/2012-09-2
その後も来日コンサートには必ず行っていましたが、サイのヴィルトゥオーゾとしての側面は聴くたびに強くなっていきました。そんな中、ハイドンのソナタの一枚は久々にバッハ、モーツァルトのソナタ以来の新鮮なハイドンを聴かせてくれました。
どうやら、ベートーヴェンより前の世代の古典派のピアノ曲におけるサイならではのピュアなキーボード奏者としてのユニークな斬新さは健在のようです。ピアノのお稽古用で有名な第35番ハ長調ソナタは来日公演でも取り上げられましたが、コロコロと弾むオルゴールように軽やかなタッチが魔法のようなチャームを撒き散らしています。
サイは今、ベートーヴェン以降のヘヴィーなヴィルトゥオーゾ曲に、現代曲も含めて関心が高いようです。この度の来日コンサートは残念ながら、日程の関係で行けませんが、そこでのプログラムはベート-ヴェンの32番のソナタやリスト編のワーグナー「イゾルデの愛の死」などを含むヘヴィーな内容です。
サイにはもうひとつ、ジャズや中近東音楽とのフュージョンや、自作を含む実験的キーボード奏者としての側面があります。ただそれらの中でも、ますますヴィルトゥーゾとしての側面を強めていくかに見える近年のサイですが、個人的にはバッハの組曲や平均律、ハイドンやモーツァルトのソナタに聴かれるようなピュアなキーボード音楽としての世界をもっと深めてもらいたいところです。スカルラッティはまだ録音はありませんが、サイならさぞかしチャーミングに弾いてくれそうです。
シャコンヌ!~サイ・プレイズ・バッハ ファジル・サイ(p)
トルコ行進曲~サイ・プレイズ・モーツァルト ファジル・サイ(p) トルコ行進曲~サイ・プレイズ・モーツァルト ファジル・サイ(p)
ピアノ・ソナタ集 ファジル・サイ(p)
タグ:ファジル・サイ
2013-09-28 11:37
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