内田光子のシューベルトD845 [クラシックCD]
今『のだめ』というクラシック音楽を題材にしたテレビドラマがヒットして、そのCDも出ています。シューベルトのピアノソナタ イ短調 D845がこのドラマの中で弾かれていて、CDにも収録されているようですので、この曲の内田光子盤を取り上げてみました。
シューベルト : ピアノ・ソナタ 第16番 イ短調 D.845
シューベルトのピアノソナタは番号付きのものは21曲が残されていますが、その中には書きかけのままに捨てられた断章だけの曲も含まれています。それらの中で第16番に相当するのがこのイ短調のD845のソナタで、完成された作品の一つです。未完の作品も含めて、たった21曲しか残されていないシューベルトのピアノソナタの中で、このD845を含めて何とイ短調ソナタが3曲もあり、この作曲家がいかにこの調性を好んだかということがわかります。
シューベルトのピアノソナタは書きかけで捨てられた作品があるのも当然かと思われるほど、完成されたソナタの中にも、とりとめがなく旋律の魅力にも欠ける作品がいくつか見られます。なかではこの第16番イ短調は作曲家の生前当時も受け入れられた曲と言われているだけに、旋律的な魅力にも恵まれており、この作曲家にしては珍しく第三者を説得できるだけの客観性が保たれている曲といえます。ちなみにシューベルトのイ短調ソナタでは、この第16番の前に書かれている第14番D784(何と通し番号でわずか2番違いの曲が共にイ短調!!)も比較的取り上げられる機会の多い作品ですが、こちらも捨てがたい魅力があります。
第16番の曲を初めて聴いたのはブレンデルの演奏でした。ブレンデルのシューベルトは一音一音をかみしめるように誠実かつ厳密に音にしていくといった演奏が特徴です。しかもテクニックがしっかりしているので、まずは理想のシューベルトといったところでしょうか。それだけにカリスマ性には欠けるところがあり、この人の演奏を高く評価しない人がいるのもうなずけます。実はその評価に私も賛同する方なのですが、その反面、初めて聴く曲の姿を、ありのままに余分な歪曲を加えることなく聴き手に伝えてくれるというメリットがこの人の演奏にはあります。特にシューベルトのピアノ曲に関しては、この人の演奏で初めて聴いたことによって、その良さを教えてもらった曲が多く存在します。
Schubert: Piano Sonata in A minor,D 845; 3 Klavierstücke, D 946
その一つがこの第16番のイ短調ソナタですが、それだけにブレンデルで親しんだ後に聴いた内田光子のこの曲の演奏は、全く違う曲かと思われるほどの演奏でした。この曲はシューベルトのピアノソナタの中では後期のソナタの少し前に書かれているソナタですが、内田の思い入れの強い弾き方で聴くと、この曲が全く後期のソナタの様相を呈してきます。全体の演奏時間はブレンデルよりもわずかに遅いという程度ですが、第一楽章などは聴感上のテンポ感はブレンデルよりも倍近く遅いのではないかとすら思わせるほどです。それだけにこの演奏に馴れるまでは、この曲本来の美しさが見えてこないようなもどかしさすら感じられました。
ところが回を重ねて聴き進めると、内田だけの思い入れの深さが、この曲に込められたシューベルトの哀愁と哀れの悲哀感をえぐり出すように伝えてくれていることに気づかされます。よく、神がかりという言葉が使われますが、この人の演奏がまさにそれで、神がこの世に遣わせた巫女か聖母マリアかと思わせるような、全身全霊を投げ出した捨て身の没我の演奏が聴き手の心を打ちます。内田の生のステージの演奏姿をオーバーゼスチャーと呼ぶ人がいますし、私も初めはそう見ていました。けれどもこのオーバーゼスチャーこそ、音楽という神が内田に憑依した巫女としての姿を表しているのではないでしょうか。そうした内田の特質に気づいたのはシューベルトでは、有名な即興曲集を聴いた時でした。これらの愛らしい小品集を、内田は心の奥底の深淵にまで届くかのような強いエモーションを持って弾ききっています。
シューベルト:即興曲集
シューベルト : ピアノ・ソナタ 第16番 イ短調 D.845
- アーティスト: 内田光子,シューベルト
- 出版社/メーカー: マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
- 発売日: 1998/11/01
- メディア: CD
シューベルトのピアノソナタは番号付きのものは21曲が残されていますが、その中には書きかけのままに捨てられた断章だけの曲も含まれています。それらの中で第16番に相当するのがこのイ短調のD845のソナタで、完成された作品の一つです。未完の作品も含めて、たった21曲しか残されていないシューベルトのピアノソナタの中で、このD845を含めて何とイ短調ソナタが3曲もあり、この作曲家がいかにこの調性を好んだかということがわかります。
シューベルトのピアノソナタは書きかけで捨てられた作品があるのも当然かと思われるほど、完成されたソナタの中にも、とりとめがなく旋律の魅力にも欠ける作品がいくつか見られます。なかではこの第16番イ短調は作曲家の生前当時も受け入れられた曲と言われているだけに、旋律的な魅力にも恵まれており、この作曲家にしては珍しく第三者を説得できるだけの客観性が保たれている曲といえます。ちなみにシューベルトのイ短調ソナタでは、この第16番の前に書かれている第14番D784(何と通し番号でわずか2番違いの曲が共にイ短調!!)も比較的取り上げられる機会の多い作品ですが、こちらも捨てがたい魅力があります。
第16番の曲を初めて聴いたのはブレンデルの演奏でした。ブレンデルのシューベルトは一音一音をかみしめるように誠実かつ厳密に音にしていくといった演奏が特徴です。しかもテクニックがしっかりしているので、まずは理想のシューベルトといったところでしょうか。それだけにカリスマ性には欠けるところがあり、この人の演奏を高く評価しない人がいるのもうなずけます。実はその評価に私も賛同する方なのですが、その反面、初めて聴く曲の姿を、ありのままに余分な歪曲を加えることなく聴き手に伝えてくれるというメリットがこの人の演奏にはあります。特にシューベルトのピアノ曲に関しては、この人の演奏で初めて聴いたことによって、その良さを教えてもらった曲が多く存在します。
Schubert: Piano Sonata in A minor,D 845; 3 Klavierstücke, D 946
- アーティスト: Franz Schubert,Alfred Brendel
- 出版社/メーカー: Philips
- 発売日: 1989/09/14
- メディア: CD
その一つがこの第16番のイ短調ソナタですが、それだけにブレンデルで親しんだ後に聴いた内田光子のこの曲の演奏は、全く違う曲かと思われるほどの演奏でした。この曲はシューベルトのピアノソナタの中では後期のソナタの少し前に書かれているソナタですが、内田の思い入れの強い弾き方で聴くと、この曲が全く後期のソナタの様相を呈してきます。全体の演奏時間はブレンデルよりもわずかに遅いという程度ですが、第一楽章などは聴感上のテンポ感はブレンデルよりも倍近く遅いのではないかとすら思わせるほどです。それだけにこの演奏に馴れるまでは、この曲本来の美しさが見えてこないようなもどかしさすら感じられました。
ところが回を重ねて聴き進めると、内田だけの思い入れの深さが、この曲に込められたシューベルトの哀愁と哀れの悲哀感をえぐり出すように伝えてくれていることに気づかされます。よく、神がかりという言葉が使われますが、この人の演奏がまさにそれで、神がこの世に遣わせた巫女か聖母マリアかと思わせるような、全身全霊を投げ出した捨て身の没我の演奏が聴き手の心を打ちます。内田の生のステージの演奏姿をオーバーゼスチャーと呼ぶ人がいますし、私も初めはそう見ていました。けれどもこのオーバーゼスチャーこそ、音楽という神が内田に憑依した巫女としての姿を表しているのではないでしょうか。そうした内田の特質に気づいたのはシューベルトでは、有名な即興曲集を聴いた時でした。これらの愛らしい小品集を、内田は心の奥底の深淵にまで届くかのような強いエモーションを持って弾ききっています。
シューベルト:即興曲集
- アーティスト: 内田光子,シューベルト
- 出版社/メーカー: マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
- 発売日: 1997/01/31
- メディア: CD
こんにちは。わたしにとってシューベルトのピアノ・ソナタのいくつか(13番と18番以降)は、モーツァルトのそれ以上に大事なものです。第16番は正直申しまして、それらほどの愛着はないのですが、クラシック・ビギナーの友人に、第13番と第16番の入ったCDを勧めたところ、第16番をより気に入ったようで、《のだめ》で使われていたことを大変喜んでいました。
ところで、内田の思い入れと巫女性についてはまさしく同感です。20番でもまさしく音楽に没入しているようで、第2楽章中間部のあの恐怖の音楽に入る時、声にならないような声を漏らしています。
☆昨日はご来訪とコメントありがとうございました!
by あつ (2008-02-06 16:27)