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ゲルギエフのショスタコーヴィチ交響曲第15番、第1番 [クラシックCD]

ゲルギエフのショスタコーヴィチの交響曲の新譜を聴きました。最初と最後の第1番、第15番というカップリングで、手兵のマリインスキー劇場管弦楽団を指揮してのSACD盤です。

ゲルギエフ.jpgゲルギエフのショスタコーヴィチの交響曲は従来フィリップスレーベルから出ていましたが、このSACD盤はマリインスキーの自主レーベルなのでしょうか。ロシア製の録音ということで、一抹の危惧がありましたが、フィリップス盤に劣らない優秀な録音で、SACDとしての完成度も高い仕上がりで、ほっとしました。

ゲルギエフは現役の指揮者中では、恐らく最も強い表現力をもった指揮者だと思います。ただ、従来の演奏からは聴けないような新しい解釈を期待すると、案外まともで、肩すかしを食らわされることもあります。というのは、私のようなアマチュアのリスナーにとっては、従来聴けなかったような刺激的な解釈に接すすることが、音楽を聴く上での楽しみの一つになるからです。この観点から見ると、ゲルギエフは決して奇矯なカリスマなのではなく、極めて誠実な指揮者だと思われます。

さて、この新しいショスタコーヴィチの交響曲の出来はどうだったのでしょうか。ウーム、やはりゲルギエフは何も新しいことはやっていないのに、これで十分満足という出来。誠実で真摯なゲルギエフの真骨頂が発揮された名演といえるでしょう。

第1番と第15番は全15曲あるショスタコーヴィチの交響曲の中でも、個人的に特に魅力的であると思っている曲ですが、ゲルギエフの解釈は、曲そのものの魅力を痛切にわからせてくれます。これでもう少し個性的だったらいうことはないのですが、指揮者の解釈ではなく、曲そのものの魅力を堪能させてくれるところが、ゲルギエフの良さなのでしょう。

第15番は、私はザンデルリンク盤を最高としていました。その後聴いたバルシャイ盤も優れた演奏でしたが、打楽器群だけの合奏による印象的なエンディングに関してはザンデルリンクの虚無感の方がバルシャイを遙かに上回っていました。そしてゲルギエフはエンディングに至る全てを、ザンデルリンクを上回る強い表現力で聴かせます。さて、問題はエンディングです。ゲルギエフはこのエンディングも、見事に画竜点睛の仕上がりで、全曲を締めくくってくれました。というわけで、ゲルギエフ盤はトータルでもザンデルリンク盤を追い抜いて、この曲の代表盤になったといってもいいかもしれません。

第1番はびっくりシンフォニーみたいな、若き日のショスタコーヴィチならではのあざとい仕掛けが施された曲ですが、ゲルギエフで聴くと、随分まともな曲に聴こえます。それでも、この曲を味わう上では最も精彩に富んだ精力的な名演といえるでしょう。

ショスタコーヴィチの第1番と第15番の交響曲という名曲に新たにゲルギエフの名演が加わり、それを聴けるようになったということは、やはりとても幸せなことだと思います。




交響曲第1番、第15番 ゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団
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