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フィッシャーのベートーヴェン悲愴ソナタ [クラシックCD]

ドイツのメンブランレーベルはヒストリカル録音を廉価なセット物で販売しているレーベルです。このシリーズからエドウィン・フィッシャーのピアノの10枚組のセットが出たので、購入してみました。何と10枚組で通常の廉価盤CDたった1枚ほどの値段なので、ほとんど既に所有している録音でしたが、安さに目がくらみ(?)衝動買いしてしまいました。

内容はSPからモノーラルLP期にまたがるEMIへのバッハ、ブラームス、ベートーヴェン、モーツァルト、シューベルトのセッション録音が中心で、一部放送録音が含まれています。フィッシャーの演奏を代表するとも言えるバッハの平均率は第一巻と第二巻からそれぞれ7曲ずつをCD一枚にピックアップしたハイライト盤ですが、なぜか全曲を開始する第一巻第一曲のハ長調が収められていないという不可解な選曲も見られます。リマスターは良心的な仕上がりで、同じ録音をEMI盤と比べると、確かに違う音がしているのですが、どちらがよいかは好き好きの範囲です。

フィッシャー.jpgフィッシャーは不思議なピアニストです。不思議というのは巨匠ピアニストには違いないのですが、巨匠然とした構えたところが少しもなく、飄々とした何気ない一筆書きのような演奏を聴かせてくれるからです。フィッシャーのピアノは、譬えて言えばあの巨匠指揮者のシューリヒトがピアノを弾いたら、こんな感じになるのではと思われるような弾き方です。

このセットのタイトルは「Norble Romanticist―高貴なロマンチスト」で、この言もまた、まさにフィッシャーのピアノの本質を言い当てています。

このセットの中から今年の聴き初めに選んだのが、ベートーヴェンの悲愴ソナタです。この録音は1952年とあり、この曲のEMIへのセッション録音と同年ですが、私が所有している東芝EMIの復刻盤とは、どうも違う演奏の録音のようです。

こちらの音源の素性は不明ですが、この録音が全10枚の中でも今回の目玉になりました。というのは、これが滅法いい音で、たぶんフィッシャーのピアノというのはこういう音がしていたのかというのが、この録音で初めてわかったような気がします。

演奏がこれまた凄い。当時のザッハリッヒカイトの一翼を担っていたかと思われるフィッシャーのピアノは現在の水準で聴いても、それほど時代がかった崩しは見られませんが、この悲愴ソナタでは、極くわずかなロマンチックな崩しが、曲を何とも言えず魅力的に聴かせてくれています。試しに旧EMI盤に戻って聴いてみましたが、やはりこちらの演奏の方が格段に優れています。これを聴くだけでも、このセットの価値があろうというものです。

フィッシャーの悲愴ソナタがあまりにも面白かったので、手持ちのCDから他のピアニストのこの曲の演奏を聴いてみました。ケンプ、バックハウス、ホロヴィッツ、ギーゼキング。今回改めてこれらの巨匠ピアニストたちの演奏を聴いてみると、皆、非常に個性的で、各自がそれぞれ違う譜面を弾いているのかと思うほどに、この曲に関しては全く異なるアプローチが試みられているのがわかりました。そしてそれぞれに改めて感動を受けました。けれどもフィッシャーに比べてしまうと、皆セッション録音なので当然とはいえ、どうも予め作り込まれたような印象を強く受けてしまいます。むしろ、何もやっていない(!?) ギーゼキングの演奏が中では一番自然かもしれません。フィッシャーのこの録音もセッション録音なのかもしれませんが、フィッシャーがこの曲で聴かせてくれている、流れ星が流れ去っていくような瞬時に移り変わる即興的な息遣いが他のピアニストからは聴こえてこないのです。

この違いはどのピアニストの演奏が一番優れているのかという問題なのではなく、ここで聴き比べたピアニストたちの演奏の中では、少なくともフィッシャーの演奏がこの曲に関しては最も即興的かつ流動的であるということです。


ハイドシェック:宇和島ライヴ2 (Erick Heidsieck in Uwajima 2 Beethoven Recital) [日本語解説書付]

ハイドシェック:宇和島ライヴ2 (Erick Heidsieck in Uwajima 2 Beethoven Recital) [日本語解説書付]

  • アーティスト: エリック・ハイドシェック,ベートーヴェン
  • 出版社/メーカー: KING INTERNATIONAL
  • 発売日: 2006/12/25
  • メディア: CD


そこで思い切ってハイドシェックに飛んでみました。ハイドシェック若き日のベートーヴェンのソナタ全曲録音からではなく、後年の宇和島ライヴ盤の方です。

久しぶりに聴くハイドシェックのこの曲の演奏。ウーン!! さすがに凄い。ハイドシェックもまた、フィッシャーのように即興的に動いていく表情の面白さは他のピアニストからは聴けないものです。その一つ一つの面白さについて書いていけば、優にこのブログ10本分ぐらいは書けてしまいそうです。代表的な例としては第一楽章の第2テーマなど、気の遠くなるようなもの凄いルバートがかけられています。それをやり過ぎと取るか、表現の極みと取るかは聴き手の判断に委ねられている問題でしょう。

試しにハイドシェック若き日の全集盤からの演奏でこの曲を聴いてみましたが、さすがに第2テーマにしても、これほど極端なルバートはかけられていません。ただ、将来さらに個性的になるであろう片鱗は既に認められます。そして実際は、時には恣意的な踏み外しも辞さないほどにハイドシェックは個性的な方向へと進んでしまったというのは、事実は小説よりも奇なりといえる象徴的な事例の一つといえるかもしれません。


エトヴィン・フィッシャー名演奏集(10CD)
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宇和島ライヴ Vol.2 ハイドシェック(p)
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