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2011年レオンハルトのコンサートから [クラシック演奏会]

グスタフ・レオンハルトのチェンバロソロリサイタルを聴きました。カリスマとしてのオーラを放ち続けるグスタフ・レオンハルトは、私にとっての永遠のアイドル(偶像)です。レオンハルトは近年では07年、09年と来日していますが、今回は07年に続いての邂逅です。今回の来日は80歳を過ぎた奏者の高齢と、大震災後ということで来日を危ぶんでいましたが、無事開催されました。

近年のレオンハルトは演奏レパートリーがますます自分の好きな曲だけに偏る傾向が顕著に見えてきました。コンサートもそれらの現在のレオンハルトが好む地味な曲ばかりで埋められています。それらの曲は敬愛する老巨匠の好みではあるものの、誠に残念ながら、バッハ以外の多くは私の好みではありません。それでも、老巨匠の生の演奏に接することができるのは大きな喜びです。

レオンハルト.jpg私が行った日の今回のプログラムは前半はル・ルーの組曲にデュフリの小品集6曲をメインに据え、バッハの平均律第二巻のホ長調で締め括られ、後半がバッハのリュート組曲ホ短調と「イタリア風のアリアと変奏」というものでした。いずれも近年のレオンハルトが好む曲が集められていて、レコーディングとコンサートで度々取り上げられている曲ばかりです。これでもバッハが入っている分、今回の来日プログラムの中では一番ポピュラーな選曲です。

近年のレオンハルトはフランスバロックの鍵盤曲が大のお気に入りらしくフォルクレやルイ・クープランは度々取り上げられていますが、今回の前半のプログラムではその中からル・ルーとデュフリが演奏されました。確かにこれらの作品には他の作曲家の作品にはない独自の魅力が認められるものの、その一方で、フランソワ・クープランとラモーという二人の偉大なフランスバロックの作曲家の作品の前では、これらの作曲家の作品が現代の聴衆の間からは忘れられていったのも肯けるような気がします。正直なところ、レオンハルトだったら聴いてみたい曲は他にたくさんあります。

さて、この日の楽器はヒストリカルのジャーマンモデル、ミートケの二段鍵盤のレプリカでした。近年のレオンハルトの来日コンサートはほとんどこの楽器が使われているのではないでしょうか。この楽器はジャーマンモデルというイメージから想像される渋い音色では決してなく、晴れ晴れとした明るく力強い音色を聴かせてくれます。今回の座席は幸い後方の左側だったので、二段鍵盤のレジストレーション操作もよく見え、何よりも会場のトッパンホールの響きが良く、チェンバロの生の音が十分堪能できました。

80歳を過ぎたレオンハルトの長身痩躯の風貌は、ますますこの世離れした凄みを感じさせるようになってきました。演奏の方はその風貌とは反対に、むしろ年齢を重ねるに従って穏やかさを増しているようです。これは我々の耳がレオンハルト独特のイネガル奏法とその後のピリオド演奏に慣れてきたというせいもあるのかもしれませんが、かつてのような強い隈取は確かに薄らいでいます。

演奏はもちろん、私が苦手とする前半のフランスバロックも入念、彫心鏤骨の引き込まれる名演でしたが、やはり後半のバッハの方に強い共感を覚えました。

近年のレオンハルトはフランスバロックの鍵盤作品と並んで、バッハでは何故かリュートや他の楽器用の曲からのチェンバロへの編曲物を好む傾向が見られます。この日はリュート用のホ短調組曲が取り上げられましたが、チェンバロ用には左手は補っているのでしょうか。同じくリュート用の「前奏曲、フーガとアレグロ」もレオンハルトが大好きな曲で、来日時のプログラムには必ず組み込まれる曲です。私も別の来日コンサートの折りに2回ほど聴いています。 バッハの器楽曲の中では決して傑作とは思えない作品ですが、レオンハルトの演奏で聴くと、リュート風のアルペジオ主体の音の運びがチェンバロでもしみじみとした満ち足りた雰囲気を醸し出していて、これはこれでいい曲だと思わせてくれます。

ホ短調組曲もいい演奏でしたが、やはりこの日の圧巻は最後に置かれた「イタリア風アリアと変奏」でした。バッハにしてはホモフォニックな書法が目立ち、組曲のガランテリーを集積したような変奏が続く曲です。バッハの作品中では複雑な対位法の書法が薄いこの特殊な曲を、現在のレオンハルトだからこそ取り上げた理由がよくわかる、レオンハルトの熱い思いがダイレクトに伝わるいい演奏でした。

アンコールは無伴奏チェロ組曲第4番のサラバンドのチェンバロ用編曲でした。レオンハルトによるこの組曲全曲の録音も残されていますが、アンコールまでいかにもレオンハルトらしい選曲で締め括られました。

レオンハルトはちょうどこの来日コンサート時に84歳を迎えたということです。近年はほぼ2年ごとに来日している、この老巨匠の生の演奏会にこの先もずっと接し続けていたいものです。次は2013年になるのでしょうか。

追記:

久しぶりに生を聴いたチェンバロですが、トッパンホールという小ホールで聴く限り、レプリカチェンバロの音量に不満は感じられませんでした。アンサンブルであれば相対的に音量が減少して他の楽器に埋もれがちになってしまうのでしょうが、ソロではもうこれで十分というレベルの音量でした。

日頃CDの録音で聴くことの多いチェンバロですが、改めて生で聴くと、席がホールの後方だったにも関わらず、意外にも近接録音に近い音質でした。私の好みではチェンバロの録音は近接したオンマイクの録音は好まないのですが、生の音質はどうも、その近接マイクでとらえた音の方に近いものでした。

それだけ生々しく艶のある音質なのですが、席が後方ということもあり、チェンバロへの距離は結構離れていて、ホールの適度な残響も聴こえる位置でした。つまりそんな録音はないのですが、録音にたとえれば、空間のアコースティックスを伴いながら近接した音が聴けるという音質でした。

録音では近接マイクだとうるさくなり、逆に遠いと空間のアコースティックスは感じられるものの、チェンバロの音自体は鈍ってしまいます。脳の中で補正しながら聴いている生の音に比べると、やはり補正の効かない人工的な録音というのはうまくいかないものです。

久しぶりに聴いた生のチェンバロのおかげで、幸いなことに今まで嫌っていた近接マイクのチェンバロ録音の音質が、何だか許せる気持ちになってきました。それはそれでチェンバロの音の一面をとらえたものなのかもしれません。
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