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ヘブラーのモーツァルト ピアノ協奏曲の旧録音 [クラシックCD]

ヘブラーによるモーツァルトのピアノ協奏曲旧録音がタワーレコードのオリジナル企画からリリースされました。ヘブラーのモーツァルトのピアノ協奏曲は、ロヴィッキとガリエラという指揮者の伴奏(一部デイヴィス)で後年録り直された全集の方がCD化されていますが、それ以前に別の指揮者で数曲単発で録音された旧録は現在現役盤がなく、CD化されたのは貴重です。

今回のCD化はLP3枚分がオリジナル通りに3枚のCDに収録されています。内2枚がステレオ録音で、1枚目が61年録音の19番と26番「戴冠式」でデイヴィス~ロンドン響、2枚目が59年録音の27番、18番でドホナーニ~ウィーン響の伴奏で、共に同じ曲の後年の再録よりも強力な指揮者が迎えられているのもうれしいところです。

もう1枚は60年のモノラル録音で、ゴールドベルク~オランダ室内管の伴奏で12番と12番のフィナーレの別ヴァージョンのイ長調のコンサートロンド、ハイドンのニ長調協奏曲が収録されています。ハイドンの協奏曲はステレオによる初CD化と表記されていて、他のモノラル収録曲とはハイ上がりな音質も異なっているのですが、ステレオプレゼンスは感じられるものの、左右に分かれたステレオ録音ではないようです。

モーツァルト ピアノ協奏曲第12番、18番、19番、26番「戴冠式」、27番他 ヘブラー(p)、デイヴィス~ロンドン響、ドホナーニ~ウィーン響・他







ヘブラーのモーツァルトは密閉されたフラスコの中で丁寧に醸成されたブランデーのような趣きがあり、それは今回の録音に聴く若い時から生涯変わっていません。私は2001年の来日に際し、生のヘブラーに接しましたが、レコードに聴くそのまま等身大のヘブラーの実像に逆に驚かされました。こんなにレコーディングと生の印象が変わらないピアニストはあまり他に類例がないかもしれません。それぐらいヘブラーのモーツァルトは、これ以上ないほどに精緻に作り込まれたものです。

ヘブラーの作り込まれたモーツァルトは予定調和の世界であり、ハスキルのような詩情やリリー・クラウスのような閃きには欠けるところがあると、高く評価しない人もいるかもしれません。それでも私にはある意味では虚無的なほどに禁欲的なヘブラーの演奏は、ヘブラーだけの閉じられた世界ならではの魅力が感じられます。こうした手工芸品のようなモーツァルトがこの世に存在したことは、たいへん幸せなことだと思います。

現在に至るまでほとんど変わっていないと思っていたヘブラーですが、この旧録に聴く若き日の演奏からは、後年の演奏にはないフレッシュな柔軟さと瑞々しさが感じられたのは、むしろ予想外のことでした。

今回のどの曲もヘブラーの演奏自体は均質な出来なのですが、私はあらためてモーツァルト最後のピアノ協奏曲27番の演奏に惹かれました。この27番のヘブラーの旧録は記憶が定かではないのですが、かつて宇野功芳氏が絶賛していた演奏のはずで、私も昔CDを持っていましたが、なぜか今は手元になく、今回の再発は望外の喜びです。そして今あらためて聴いてみると、昔聴いたこの演奏のユニークな美質が本物であったことをうれしく感じました。

この演奏ではヘブラーの虚無的に感じられるほどのピュアなタッチが、期せずしてこの曲のモーツァルト晩年の不思議な蒼白い天国的な諦観に結びついています。他のピアニストによるこの曲の演奏はどうしても奏者側の思い入れが少なからず混入してしまうので、音楽がもう少し地上に降りて来てしまいます。ヘブラーのように、この曲を天国的な虚無感を漂わせながら弾いたピアニストでは他には唯一カーゾンだけが思い浮かびます。ただしカーゾンはヘブラーに比べれば、その虚無的な表情は随分と意識的に作られたものですが。

ここでヘブラーにつきあっているドホナーニはこの録音当時まだ無名の新人指揮者だったはずです。このドホナーニの指揮が、一見一筆書きのような無造作な音作りながら、その作為のなさがヘブラーのピュアなタッチには意外にもよくマッチしています。ヘブラーとドホナーニの思いがけないコンビの妙が聴けるのは、新録にはないこの旧録ならではの特典です。

この曲は第一楽章の提示部と再現部の終わりのソロ部分にスケールで置き換えることを前提とした長い全音音符だけで書かれた箇所があります(同じような譜面上でのスケールの省略は24番の協奏曲にも見られます)。59年頃というと、それをまだその全音符のまま弾いているピアニストの録音は結構多いのですが、ヘブラーは当時すでにここをスケールに置き換えて弾いています。これを初めて聴いた時は、その半音階のスケールがヘブラーの蒼白い表情をさらに強調しているかのように聴こえたものです。

ヘブラーを初めて聴いて以来、現在のモーツァルトのピアノ協奏曲を弾くピアニストの演奏は随分様変わりしました。大きく変わったのは繰り返しに際しエンベリッシュメントを加えるのが普通になったことです。それに慣れてしまった耳には、緩徐楽章においても何の装飾も加えないヘブラーの演奏には少々違和感を覚えるほどです。にもかかわらず、久しぶりに聴いたヘブラーの旧録のモーツァルトは新鮮でした。こういうすっきりとしていながら味わいの深い一昔前の演奏には、奏者のマニエリスムが強く表面に出されるようになった現在の演奏にはない新鮮さが感じられます。

Ingrid Haebler/モーツァルト: ピアノ協奏曲集(旧録音), 他<タワーレコード限定> [PROC-1215]
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