ファジル・サイの展覧会の絵-来日コンサートから [クラシック演奏会]
トルコのピアニスト、ファジル・サイの来日公演を聴きました。調布の「くすのきホール」という初めて訪れた比較的こじんまりとしたホールで開催されました。このホールは2階はないのですが、幸い私の好きな高い位置にある後部席が確保でき、ホールの響きを堪能することができました。
サイの公演は昨年の7月に聴いたばかりですので、まだ1年ほどしか経っていません。今回の演目の目玉はムソルグスキーの『展覧会の絵』ですが、サイの展覧会が聴きたくて再び生のコンサートに足を運ぶことになりました。
プログラムの前半はサイ自身の編曲によるバッハの『幻想曲とフーガ』ト短調(大フーガ)と、前回も取り上げられたベートーヴェンの『テンペスト』ソナタでした。まず、バッハが始まった途端、幾度か生を聴いているのですが、その聴き慣れたサイの生のピアノの音の美しさに改めて感心させられました。
サイのピアノの音の美しさは、既成のクラシックのピアニストのタッチからは聴くことのできない、純粋なキーボード音楽としてのタッチの美しさにあります。クラシックのピアニストではグルダを思い出させますが、グルダ同様、ジャズとクラシックとの間を行き来しているキース・ジャレットに、サイはより近いピアニストかもしれません。クラシックのピアノのタッチに捉われないこの人たちのピアニズムからは、皆共通してピアノ本来の音が持つピュアな響きの美しさを聴くことができます。
サイは立派な体躯に恵まれており、コンサートグランドから引き出される強靱なフォルティッシモの威力は凄まじいものがある一方、普通の強さの音でも決して音が痩せることがありません。こうした音で弾かれた一晩のコンサートは、全篇がまさに「耳のご馳走」です。その美音にたっぷりと浸ることで、この上ない満足感を与えられました。
サイの美音はバッハに顕著に聴かれましたが、ベートーヴェンの『テンペスト』は、現役のピアニストの中でも随一とも言える強靱なメカニックで弾ききられていました。私は、サイのベートーヴェンはあまり高く評価していませんが、今回はこの厳しく鍛え上げられた強靱なメカニックの魅力には圧倒されました。
さて、プログラムの後半は聴きものの『展覧会の絵』です。サイの演奏でこの曲を聴くと、ムソルグスキーのピアノ曲の原曲の方がラヴェルのオーケストラ版の編曲のように聴こえます。一曲一曲が見事なキーボードミュージックに変換されていて、スリリングに展開されていきます。
サイにはプリペアード奏法も加えたストラヴィンスキーの『春の祭典』の多重録音盤があります。生のサイのこの曲の演奏では全曲中の一箇所「第3プロムナード」の終わりの3音だけ、わずかにプリペアード奏法を加えていました。この曲も多重録音の方がさらに面白くなるのでは、といった思いもチラッと頭をかすめましたが、一台のピアノによる生の演奏としても、一つのエンターテイメントとして、これはこれで十分な満足感が得られました。
現在のサイはキーボードの求道者といった趣があります。自分が取り上げる曲をキーボードに変換するのが面白くてしょうがないといった奏者の表現意欲が聴き手側にも伝わります。こうした現在のサイを聴けるのは幸せな体験ですが、そこに人間性の陰影が刻み込まれるようになるのは、まだ先のことかもしれません。今回の来日では、サイの追っかけになってしまい、この後の別のプログラムによるソロ・リサイタルのチケットもすでに入手しています。
サイの公演は昨年の7月に聴いたばかりですので、まだ1年ほどしか経っていません。今回の演目の目玉はムソルグスキーの『展覧会の絵』ですが、サイの展覧会が聴きたくて再び生のコンサートに足を運ぶことになりました。
プログラムの前半はサイ自身の編曲によるバッハの『幻想曲とフーガ』ト短調(大フーガ)と、前回も取り上げられたベートーヴェンの『テンペスト』ソナタでした。まず、バッハが始まった途端、幾度か生を聴いているのですが、その聴き慣れたサイの生のピアノの音の美しさに改めて感心させられました。
サイのピアノの音の美しさは、既成のクラシックのピアニストのタッチからは聴くことのできない、純粋なキーボード音楽としてのタッチの美しさにあります。クラシックのピアニストではグルダを思い出させますが、グルダ同様、ジャズとクラシックとの間を行き来しているキース・ジャレットに、サイはより近いピアニストかもしれません。クラシックのピアノのタッチに捉われないこの人たちのピアニズムからは、皆共通してピアノ本来の音が持つピュアな響きの美しさを聴くことができます。
サイは立派な体躯に恵まれており、コンサートグランドから引き出される強靱なフォルティッシモの威力は凄まじいものがある一方、普通の強さの音でも決して音が痩せることがありません。こうした音で弾かれた一晩のコンサートは、全篇がまさに「耳のご馳走」です。その美音にたっぷりと浸ることで、この上ない満足感を与えられました。
サイの美音はバッハに顕著に聴かれましたが、ベートーヴェンの『テンペスト』は、現役のピアニストの中でも随一とも言える強靱なメカニックで弾ききられていました。私は、サイのベートーヴェンはあまり高く評価していませんが、今回はこの厳しく鍛え上げられた強靱なメカニックの魅力には圧倒されました。
さて、プログラムの後半は聴きものの『展覧会の絵』です。サイの演奏でこの曲を聴くと、ムソルグスキーのピアノ曲の原曲の方がラヴェルのオーケストラ版の編曲のように聴こえます。一曲一曲が見事なキーボードミュージックに変換されていて、スリリングに展開されていきます。
サイにはプリペアード奏法も加えたストラヴィンスキーの『春の祭典』の多重録音盤があります。生のサイのこの曲の演奏では全曲中の一箇所「第3プロムナード」の終わりの3音だけ、わずかにプリペアード奏法を加えていました。この曲も多重録音の方がさらに面白くなるのでは、といった思いもチラッと頭をかすめましたが、一台のピアノによる生の演奏としても、一つのエンターテイメントとして、これはこれで十分な満足感が得られました。
現在のサイはキーボードの求道者といった趣があります。自分が取り上げる曲をキーボードに変換するのが面白くてしょうがないといった奏者の表現意欲が聴き手側にも伝わります。こうした現在のサイを聴けるのは幸せな体験ですが、そこに人間性の陰影が刻み込まれるようになるのは、まだ先のことかもしれません。今回の来日では、サイの追っかけになってしまい、この後の別のプログラムによるソロ・リサイタルのチケットもすでに入手しています。
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