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レオンハルトのバッハ平均律クラヴィーア曲集 [クラシックCD]

グスタフ・レオンハルトのチェンバロによるバッハ平均律クラヴィーア曲集がSACDになりました。レオンハルトの生誕80年を記念しての発売です。レオンハルトの平均律はこの盤に収録されている67年の第2巻、73年の第1巻の録音以降再録されていません。今後も再録される可能性は極めて低いと思われますので、これは貴重なSACD化です。私にとっては本年最後の贈り物になりました。

レオンハルト1.jpg頭の拍にアクセントを置いて引き伸ばすバロック音楽特有のイネガル奏法を現代に復活させたのはレオンハルトであるとも言われていますが、今やこの奏法はピリオド楽器の演奏ではすっかり定着したようです。

平均律はグールドのピアノでの演奏をはじめとして、その後チェンバロの演奏でもいくつか聴いてきました。今回改めてレオンハルトの演奏に立ち戻って聴いてみると、この曲集においても、レオンハルトのイネガル奏法がいかにバッハの対位法の綾を効果的に聴かせているのかに感心させられました。

レオンハルトには「チェンバロの錬金術師」といった趣があり、2巻の平均律の全48曲の1曲、1曲に魔法のような小宇宙が封じ込められています。一度その錬金術の術中に嵌ってしまうと二度とそこからは抜け出せなくなるかのような魔力すら感じさせられます。レオンハルトの演奏を人工的で、人間的な血の通わない冷徹な演奏として高く評価しない人もいますが、それはイネガル奏法が聴き方によってはわざとらしい人工的な表現と感じられることが一因しているのかもしれません。

レオンハルトはバッハ当事の伝統に従ってか、通常はリュートストップはほとんど活用しませんが、第1巻の第3番嬰ハ長調、第6番ニ短調、そして第2巻第3番嬰ハ長調の前奏曲では、レオンハルトとしては珍しくリュートストップが用いられています。嬰ハ長調の2曲は特殊な調性を考慮して敢えて用いられたのかもしれませんが、3曲とも分散和音の連続で書かれているので、リュートストップによる演奏は効果的です。

近年では他の奏者のチェンバロによる平均律の全曲演奏でもリュートストップを用いないのが普通になっています。けれども全24曲、前奏曲とフーガの各々を1曲ずつに数えれば全48曲(一巻、二巻合わせればさらにその倍)の中で、せめて数曲ぐらいはリュートストップが使われると、ピアノとは異なりタッチの変化の少ないチェンバロでは、全体の中での適度な変化が生まれるような気がします。

レオンハルトの平均律第1巻の旧盤CDは2枚目の7曲目(第19曲)以降が、何故かそれまでとガラッと音量レベルと音質が変わってしまうという欠陥を抱えていました。これはリマスター盤でも変わらなかったので、一度起こされたデジタルマスターの欠陥に気づかれずに、そのままリマスターが重ねられたせいと思われます。今回のリマスターはSACD化なので、オリジナルのアナログテープに立ち戻ってのリマスターが行われたようで、これでやっと旧デジタルマスターの欠陥が改善されました。

このSACDはドイツ・ハルモニアムンディ・レーベルの創立50周年記念も兼ねています。ドイツ・ハルモニアムンディの録音はフッガー城の糸杉の間という木質の響きの美しいホールでの録音を特徴にしていましたが、レオンハルトの平均律の録音もそこで行われています。ホールの響きと相俟って、このレーベル特有のシャンシャンとした華やかな高域が魅力的です。現在ではあまり行われなくなった超近接マイクによる直接音主体の録音ですが、SACD化ではその直接音がより生々しく再生されるようになった一方で、直接音の周りに漂うホールの響きも一層明瞭に聴きとれるようになりました。

この録音は糸杉の間に漏れ聴こえる外からの鳥の声が収録されているということでも評判になりましたが、そのかすかに聴こえる鳥の声が確認できるほどの音量というのは、チェンバロの再生レベルとしては極めて大音量になるのではないでしょうか。少なくとも私のスピーカーではそこまでの大音量で再生したことはないので、未だに鳥の声は聴いていません。ヘッドフォンで聴いたら確認できるのかもしれませんが。

レオンハルト2.jpg今回のレオンハルトの生誕80年記念としてチェンバロ独奏では、もう一枚「ゴールドベルク変奏曲」のSACDも発売されました。レオンハルトのゴールドベルクはテルデック盤が65年の録音になりますので、76年録音のこの演奏はその10年以上も後の再録ということになります。ところが、演奏時間も含めてレオンハルトの解釈は前の録音から驚異的なほどにほとんど変わっていません。

47分30秒というその演奏時間は他盤と比べて決して長くはないのですが、アリアのテーマも含めて、楽譜に指定されている繰り返しは全て行われていないので、この演奏時間で収まっています。指定通り全て繰り返すと、ちょうど倍の95分という演奏時間になるわけですから、繰り返しを行っている他盤に対して、実際はむしろ極めてゆったりとした遅いテンポが取られていることになります。

現在ではバッハの演奏は楽譜通り繰り返して演奏されるのが普通になっていて、繰り返しに際しては装飾が加えられる場合もあります。レオンハルトも2回行っている「パルティータ」全曲録音の1回目では部分的に繰り返しを採用し、そこには装飾も加えられていました。ところが再録では繰り返しは全て切り捨てられています。近年のレオンハルトのバッハの演奏では何故か、頑ななほどに楽譜の繰り返しの指定が意図的に無視されています。私には近年普通に行われるようになったバッハにおける繰り返しが煩わしく感じられる場合もあるので、レオンハルトの行き方には潔さを感じさせられます。その反面、装飾が見られなくなった物足りなさも若干感じているのですが。

レオンハルトは昨年の来日の際、その生の演奏を聴くことができましたが、高齢にもかかわらず少しも衰えは感じられませんでした。それだけに、平均律の再録も夢ではないような気もするのですが。ただ、近年のレオンハルトはますます自分が弾きたい曲だけに専念する傾向が顕著になってきました。CDの新譜も来日公演のプログラムも共に、音楽史の中の落ち穂拾いのような曲ばかりで占められています。近年のレオンハルトはそれらの曲の中に、自分だけの錬金術を封じ込めるのを無上の喜びとしているかのように見受けられます。昨年の来日プログラムもそれらの地味な曲ばかりで組まれていましたが、それらの曲の中に表現されたレオンハルトの魔術的な錬金術は相変わらず強い磁力で引きつけるものがありました。




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