ミケランジェリのショパン [クラシックCD]
ミケランジェリがステレオで残したショパンのほとんど唯一のメジャー録音、DGへのリサイタル盤のCDがリニューアルされたので聴いてみました。
今回は「オリジナルス」仕様のリニューアルですが、LPからCD化されてからも、もはや優に10年以上が経っています。正直、今回のオリジナルスのリマスターは見事です。もともとややオフマイクの録音ながら、オフマイクにしては響きは少なめのデッドな録音でした。それがオリジナルスではデッドながらも、ピアノの響きが見事に甦りました。
さて、リニューアルされた音質で楽しめるようになったミケランジェリのショパン。その昔、この中のイ短調の遺作のマズルカ作品68の2をたまたま、当時の名曲喫茶で耳にしてびっくりさせられたことが思い出されます。ショパンのマズルカは何曲かは既に聴いていましたが、こんなにも、もの悲しい曲があったのかと。ミケランジェリの孤高な演奏は曲の絶望的な寂しさをさらに強く印象づけてくれました。ショパンには同じく遺作でイ短調の作品67の4のマズルカがありますが、名曲として知られているこちらのイ短調マズルカもこのリサイタル盤に収められています。
孤高な演奏と書きましたが、それはこの人の演奏が職人性に徹した突き詰められたピアノを聴かせるからです。そこには、芸術的とか人間的なとかといったまやかしは入り込む隙すらありません。ミケランジェリとしては、自身が理想とする完璧なピアノ音楽を紡ぎ出すこと、そのことしか、その演奏の目的に入っていないからです。
ここまで完璧性が追求されたピアノ演奏というものは、暖かな血の通わない非人間的な演奏と思われるかもしれません。確かにそういう一面もあります。このリサイタル盤に収められているバラード第1番など、その熱狂的なクライマックスにおいても少しも熱くならないところが、逆に不気味な蒼白い冷静さすら感じさせるほどです。ミケランジェリとは全く正反対の人間的な血のたぎりに満ちた演奏を聴かせるアルゲリッチが、このミケランジェリに師事したことがあるというのは信じがたいことです。
ミケランジェリはどんなに激昂しても汚い音は絶対に出さず、ピアノが生理的に最も美しくビロードのように響く範囲内でしか勝負しません。その滑っとした音を評して、爬虫類的な触感と呼んだ人がいますが、その評も確かにミケランジェリのピアノの一面を突く表現かもしれません。
そしてイ短調作品68の2のマズルカではその隔絶した非人間的とも思われるような突き詰められた表現が、ショパンの孤独な悲しみを明確にしたのかもしれません。ここに収められた10曲のマズルカの中には有名曲のロ短調作品33の4も含まれていますが、そこでも同じくショパンの救いようのない孤独感が痛切に浮き彫りにされています。
私がミケランジェリに初めて出会ったのはラジオの深夜放送で聴いたラヴェルのピアノコンチェルトでした。当時の貧しいラジオの音からもミケランジェリの超絶的なピアノの魔力が伝わり、すっかりその演奏の虜になってしまいました。幸い、その後、ミケランジェリにはその生に、このラヴェルのコンチェルトで接することができました。
ピアニストには生と録音で大きく異なる人がいます。ハイドシェックなどその代表かもしれません。ところが職人性に徹したミケランジェリは生でも、その印象は全く変わることはありませんでした。
ミケランジェリは決してヒューマニスティックなアーティストではないかもしれませんが、私が生涯の中で出会ったかけがえのないピアノ職人です。
10のマズルカ、バラード第1番、スケルツォ第2番 ミケランジェリ
今回は「オリジナルス」仕様のリニューアルですが、LPからCD化されてからも、もはや優に10年以上が経っています。正直、今回のオリジナルスのリマスターは見事です。もともとややオフマイクの録音ながら、オフマイクにしては響きは少なめのデッドな録音でした。それがオリジナルスではデッドながらも、ピアノの響きが見事に甦りました。
さて、リニューアルされた音質で楽しめるようになったミケランジェリのショパン。その昔、この中のイ短調の遺作のマズルカ作品68の2をたまたま、当時の名曲喫茶で耳にしてびっくりさせられたことが思い出されます。ショパンのマズルカは何曲かは既に聴いていましたが、こんなにも、もの悲しい曲があったのかと。ミケランジェリの孤高な演奏は曲の絶望的な寂しさをさらに強く印象づけてくれました。ショパンには同じく遺作でイ短調の作品67の4のマズルカがありますが、名曲として知られているこちらのイ短調マズルカもこのリサイタル盤に収められています。
孤高な演奏と書きましたが、それはこの人の演奏が職人性に徹した突き詰められたピアノを聴かせるからです。そこには、芸術的とか人間的なとかといったまやかしは入り込む隙すらありません。ミケランジェリとしては、自身が理想とする完璧なピアノ音楽を紡ぎ出すこと、そのことしか、その演奏の目的に入っていないからです。
ここまで完璧性が追求されたピアノ演奏というものは、暖かな血の通わない非人間的な演奏と思われるかもしれません。確かにそういう一面もあります。このリサイタル盤に収められているバラード第1番など、その熱狂的なクライマックスにおいても少しも熱くならないところが、逆に不気味な蒼白い冷静さすら感じさせるほどです。ミケランジェリとは全く正反対の人間的な血のたぎりに満ちた演奏を聴かせるアルゲリッチが、このミケランジェリに師事したことがあるというのは信じがたいことです。
ミケランジェリはどんなに激昂しても汚い音は絶対に出さず、ピアノが生理的に最も美しくビロードのように響く範囲内でしか勝負しません。その滑っとした音を評して、爬虫類的な触感と呼んだ人がいますが、その評も確かにミケランジェリのピアノの一面を突く表現かもしれません。
そしてイ短調作品68の2のマズルカではその隔絶した非人間的とも思われるような突き詰められた表現が、ショパンの孤独な悲しみを明確にしたのかもしれません。ここに収められた10曲のマズルカの中には有名曲のロ短調作品33の4も含まれていますが、そこでも同じくショパンの救いようのない孤独感が痛切に浮き彫りにされています。
私がミケランジェリに初めて出会ったのはラジオの深夜放送で聴いたラヴェルのピアノコンチェルトでした。当時の貧しいラジオの音からもミケランジェリの超絶的なピアノの魔力が伝わり、すっかりその演奏の虜になってしまいました。幸い、その後、ミケランジェリにはその生に、このラヴェルのコンチェルトで接することができました。
ピアニストには生と録音で大きく異なる人がいます。ハイドシェックなどその代表かもしれません。ところが職人性に徹したミケランジェリは生でも、その印象は全く変わることはありませんでした。
ミケランジェリは決してヒューマニスティックなアーティストではないかもしれませんが、私が生涯の中で出会ったかけがえのないピアノ職人です。
10のマズルカ、バラード第1番、スケルツォ第2番 ミケランジェリ
ミケランジェリはいいですね。私の好きなピアニストとしてもベスト3に入ります。ミケランジェリ、ホロヴィッツ、リパッテイは個性が違いますのでベスト3といってもこの3人は同率1位です。(^^;
by たこやきおやじ (2009-01-26 11:10)
>たこやきおやじさん、ご訪問ありがとうございます。
何を今更、と思っていた突然のミケランジェリのリマスターですが、やはり購入してよかったと思っています。
by mickey (2009-01-27 21:57)