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カーゾンのモーツァルト [クラシックCD]

カーゾンがブリテンと共演した2曲のモーツァルトのピアノ協奏曲、第20番ニ短調と第27番変ロ長調のカップリング盤がSACDになりました。レーベル名は、このSACD化を手がけたオーディオメーカーのティアックの高級ブランド「エソテリック」の名前になっています。

カーゾン.jpg1970年というLP時代の録音ですが、生前のカーゾンが発売を許可しなかったので、この演奏を聴けるようになったのは80年代のCD時代に入ってからです。私がカーゾンを本格的に聴いたのはCD時代に入ってからのこの2曲が初めてでした。それまでは客観的で小じんまりとした演奏を聴かせるスケールの小さいピアニストであると思っていました。ところが実際に聴いてみると、カーゾンは他のどのピアニストとも異なる独自の世界を持ったピアニストであることがわかりました。

第20番の第2楽章ロマンスは映画『アマデウス』のエンディングに使われていました。カーゾンを本格的には初めて聴いたこの曲で、まずびっくりさせられたのが、映画にも使われたこの楽章のテーマのカーゾンの弾き方です。カーゾンはその慰めに満ちたテーマを、それこそこの世のものとは思えないような遙か彼方から響いてくるソット・ヴォーチェの弱音で弾いています。それを人工的と言ってしまえば、それまででしょうが、世の中にはこういうピアノを弾ける人もいるのだと、カーゾンに抱いていた先入観が一新されました。アマデウスのエンディングのピアノはブレンデルの弟子のイモジェン・クーパーかアンヌ・ケフェレックではなかったか(?)と思いますが、このカーゾンの演奏であれば、さらに感動的なエピローグとしてピタリとはまるような気がします。

ここでイギリス室内管弦楽団を指揮して伴奏を務めている作曲家のブリテンは、その指揮においても、極めて個性的な表現主義的な演奏を聴かせてくれます。一方、カーゾンはここでもいつものように自分だけの独自の美意識に覆われた世界を頑なまでに追求しています。共に極めて個性的な両者ですが、ここでは互いに深い共感で結ばれ、緊密に絡み合った演奏を聴かせています。

20番ニ短調の協奏曲は私は、バロック音楽によくある「嵐のシンフォニア」にピアノのオブリガートが付いた曲ではないかと思っています。オーケストラによる運命の嵐の中をオブリガートピアノによる主人公が翻弄されながら駆け抜けていくかのように聴こえます。

ブリテンによるこの曲の第1楽章冒頭のオーケストラは、嵐のような悩ましく熱い喘ぎが他の誰よりも生々しく表出されています。これでその後から登場してくるソロのピアノが平凡だったら、ブリテンの名指揮も台無しになってしまうところですが、後から登場してくるカーゾンのピアノもブリテンに負けじと濃い表情で入ってきます。

この曲にはモーツァルト自作のカデンツァは残されませんでしたが、ベートーヴェン作のカデンツァが両端楽章共に残されています。この曲ではピアニスト側で自作のカデンツァを弾く場合も多く見られますが、カーゾンは幸いにもベートーヴェンのカデンツァを採用しています。このカーゾンのベートーヴェンのカデンツァの演奏がまた凄く、溜を十分に効かせた第1楽章のカデンツァなど蒼白い炎が燃え上がるかのようです。

この曲の2楽章ロマンスの第1エピソードでは、カーゾンは極くわずかながら装飾を加えて弾いています。現在では多くのピアニストがここで装飾を加えるようになりましたが、40年近くも前の70年という録音当時、既にそれを実行していたカーゾンの新しさが伺えます。

この第2楽章の第1のエピソードでモーツァルトはピアノを伴奏するヴィオラを、わずか2小節だけ二部に分けています。その時に、この世のものとは思われないような虹色のハーモニーが一瞬立ち昇ります。初めてこの演奏を聴いた時に、何が起こったのだろうかとびっくりしてスコアを見てみると、ヴィオラのパートが二分されているのがわかりました。他の演奏では素通りされてしまっている、この虹色の効果に気づかせてくれたのもブリテンの慧眼の賜物と言えるでしょう。

第27番ももちろん聴き応え十分です。それだから人工的と評されるのかもしれませんが、カーゾンはタッチそのものを20番の時とは意識的に変えて、訥々としたタッチで弾いています。

この曲の第1楽章提示部と再現部のコーダのピアノパートには、2小節にわたり全音符が引き伸ばされる箇所があります。楽譜通り全音符を引き伸ばしたままで弾くと空白が生じてしまう箇所で、こういう書法は24番の協奏曲にも出てきます。ここはスケールがスコアの上では省略されていると考えられ、現在ではそれを補って演奏されるようになりました。カーゾンの時代はまだ楽譜通り弾く人が普通でしたが、カーゾンは現代の多くのピアニスト同様、スケールを充填してその空白を埋めていて、ここにもカーゾンの先進性を伺うことができます。

27番のフィナーレは最後までカーゾン自身が発売を認めなかったという曰くつきの楽章です。このロンドのテーマを弾くカーゾンのアゴーギクにブリテンの方もピタリと合わせていますが、確かにモーツァルト自作の童謡『春への憧れ』から取られた、そのテーマはカーゾンであればさらにチャーミングな弾き方できたのではないかとも思われます。

カーゾンのモーツァルトのピアノ協奏曲はステレオ録音では他にもケルテスとの共演盤が残されています。また、カーゾンの生前はカーゾンの意志でお蔵入りになっていた64年のセルとの共演盤(何とオケはウィーンフィル)も、現在はオリジナル・マスターズ・シリーズ(カーゾン・デッカ・レコーディングス1949-64)で聴くことができます。ところが残念ながらそれらはブリテンとの共演盤ほどの強い説得力は感じられません。やはり、ここではブリテンの魔力がカーゾンに伝播したのかもしれません。

カーゾンとブリテンの共演盤はSACDには積極的ではないユニバーサル・ミュージック系列の英デッカ原盤なので、SACD化は諦めていました。それだけにこのSACD化は望外の喜びです。SACD化によって、収録場所であるモルティングハウスの木質のホールの響きだけではなく、かなり小じんまりと収録されていたカーゾンのピアノにも響きが甦ったのはうれしい限りです。

エソテリック製のこの盤はオーディショップや一部のレコード店で販売されているようですが、一般にはあまり出回っていないようです。一般には英デッカの「レジェンド」仕様のリマスター盤(これも良好なリマスターです)が入手しやすいようです。この盤にはケルテスと共演した他の3曲のモーツァルトの協奏曲が併録されています。



クリフォード・カーゾン(p)/デッカ・レコーディングス1949-64(4CD) icon

ピアノ協奏曲第20、23、24、26、27番 カーゾン(p)、ケルテス&ロンドン交響楽団、ブリテン&イギリス室内管 icon

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