SSブログ

モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第42番 [クラシックCD]

実質的にはモーツァルト最後のヴァイオリン・ソナタになった第42番イ長調K.526は、モーツァルトには珍しいシリアスな作品ですが、それだけにモーツァルト特有の微笑みには欠けるところがあるようです。ただ、この曲の第2楽章だけは晩年のモーツァルト特有の夕映えのような諦めと寂しさが漂う傑作だと思います。どこか無機的で霊感の衰えすら感じさせる両端楽章も、この中間楽章にコントラストされているという意味においては、その存在意義もあるのかもしれません。

この第2楽章の第1テーマも決して美しいとは言えない途切れがちのメロディーなのですが、一度聴いたら忘れられない例えようもなく深い寂しさを湛えたものです。さらににすすり泣くような第2テーマが、この楽章の哀しみの深さに追い打ちをかけます。

S&H.jpgこの曲を初めて知ったのは、シェリングのヴァイオリンとヘブラーのピアノによるLP盤でした。このデュオの演奏によって、この曲の第2楽章のような深い曲がモーツァルトにあったことを初めて教えられました。今回、久々にCDで聴き直してみましたので、このブログで取り上げることにしました。

モーツァルトには厳しすぎると実は期待していなかったシェリングですが、この曲の第2楽章に限っては、意外にもその厳しさが晩年のモーツァルトの深い諦めを見事に浮き彫りにする結果になっていました。以後、この曲を他のヴァイオリンニストでも聴くようになりましたが、この楽章だけはシェリングの厳しさに対抗できるヴァイオリンニストは未だ現れていません。一方、ヘブラーはいつものように極上の精緻なモーツァルトを聴かせてくれていますが、あのすすり泣くような第2テーマなど、シェリングのヴァイオリンよりもヘブラーのピアノに受け持たれる時の方が、さらに美しく聴こえるほどです。この旋律がヴァイオリンよりもピアノに適した書法で書かれているせいもあるのかもしれませんが。

シェリングとヘブラーによるモーツァルトのヴァイオリン・ソナタは国内盤のCDでも発売されていましたが、何故かこの国内盤のリマスターは不調で、LPに比べ貧弱な音質になってしまいガッカリさせられ、以後ほとんど手を出さなくなっていました。

そこで目を付けたのが、現在、国内盤は廃盤のようなので、未だ現役の輸入盤です。シェリングとヘブラーによるモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集の録音は第24番以降のほぼ全てが録音されていますが、現役の輸入盤はその全曲をCD2枚ずつの2セット、計4枚に収録しています。番号順に収録されているので、第42番は第2集の方に収められています。

廉価な組み物なので、期待はしていませんでしたが、恐る恐るプレーヤーに載せて聴いてみました。結果や、いかに。ウ~ム、思わず唸ってしまったほどに、信じ難いことにLPで聴いた音が甦ってきました。これだけ違うと、こちらは国内盤とは異なるデジタルリマスターを採用しているのかもしれません。CD2枚にLP3枚分ぐらいが収録されていて、しかも価格は昔のLP1枚分以下というのも驚きです。

改めて聴き直してみて、一本ピーンと背筋の通ったその佇まいの美しさに、シェリングのモーツァルトの見直しを迫られる思いです。この第2集の冒頭に収められている有名曲の第34番変ロ長調K.378など、甘くなり過ぎないシェリングのヴァイオリンがこの聴き慣れた曲を新鮮に聴かせてくれます。

この調子でいくと、このデュオによる第1集の第24番ハ長調、第28番ホ短調なども聴いてみたいところです。




ヴァイオリン・ソナタ集Vol.2 シェリング(vn)、ヘブラー(p)(2CD) icon
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。