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モントゥー「春の祭典」のリマスター [クラシックCD]

ストラヴィンスキーの「春の祭典」の昔懐かしいモントゥー盤に、市販品のオープンリールのミュージックテープから起こされた新しいリマスター盤が登場したので、久しぶりに聴いてみました。モントゥーはこの曲を初演した指揮者で、この曲のモノーラル録音とステレオ録音が残されていますが、今回のリマスターはステレオ録音の方です。私にとってはこの曲の全曲を初めて聴いたのがモントゥーのステレオ録音によるLP盤だったので、この録音は忘れらない演奏になりました。

モントゥーは不思議な指揮者です。その演奏は温厚な外観にもかかわらず、梃子でも動じないかのように頑なまでに自分だけの音楽でキッチリと固められています。一切の無駄な動きのない簡潔なポーカーフェイスを思わせるような表現ながら、実は深いニュアンスが込められています。こういう個性を持った指揮者は他には思い浮かべることができません。

初めてLPで音楽に親しむようになった若い頃は、そうしたモントゥーが持つ虚飾のない「素」の魅力に惹かれて、モントゥーは私にとってのアイドル的存在でした。モントゥーによるハルサイも当時定評の高かったアンセルメ盤より高く買っていました。

m1.jpgモントゥーのハルサイのステレオ録音はステレオ最初期の1956年の録音です。今聴き直してみると、多数の打楽器を含む5管の大編成のオーケストラ曲を当時の録音技術で収録することは土台無理だったことがわかります。特にこの曲で重要な役割を果たしている打楽器パートは聴こえない箇所が多々あります。当時の録音技術では打楽器の強いピークの音は全体の録音レベルには収まらないため、必然的に打楽器全体を抑えて録音せざるを得なかったものと思われます。その貧しい音質はCD化されたことにより、LPよりさらにクローズアップされてしまうことになり、いつの間にか私の中でこの曲のモントゥー盤の存在意義は消滅してしまっていました。

新しいリマスター盤を聴く前に、まず久しく遠ざかっていたマスターテープからCDに起こされたレギュラー盤の方を聴いてみました。その音質は恐れていたほど聴きずらいものではありませんでした。演奏そのものは久しぶりに聴いてみると、むしろ新鮮です。穏健な外観をした音楽を聴かせるモントゥーには、一見ハルサイはふさわしくない曲のように思われますが、実際に聴き始めると、その無駄のないキビキビとした音の運びには、ついつい引き込まれてしまいます。相変わらず打楽器は聴こえない録音ですが、そんなことなど聴き進むうちに気にならなくなってしまうのもモントゥーの表現力の確かさ故でしょうか。この曲が持つ激しさの一方の艶やかな春の訪れへの期待感が微笑むように表現されているのはモントゥーだけの真骨頂といえるかもしれません。それを可能にしているのはパリ音楽院管の軽めの音質のせいもあるのでしょうか。この曲のモノ録音の方はボストン響ですが、ステレオの方はパリ音楽院管でよかった!!

余談ながら、このパリ音楽院盤に併録の「ペトルーシュカ」も、同じオケを振って同じ56年に入れたステレオ録音ですが、ペトルーシュカの方はわずか3年後の59年にボストン響と入れ直しています(ハルサイとは2つのオケの収録順が逆)。このペトルーシュカに関しては後年のボストン響との演奏の方が録音も含めて、より完成度の高い仕上がりになっています。

m2.jpg次に当時市販されていた2トラックのオープンリールテープから復刻された(この言い方自体、「刻」ですから本来LP用の表現になるのでしょうが)、グランドスラムの新しいリマスター盤を聴いてみました。当初新たなマスターテープから起こされたリマスターかと思っていましたが、この復刻に使われているのは当時ミュージックテープとして市販されていた2トラックのオープンリールテープということです。2トラックテープは当時標準とされていた4トラックテープよりも音質が良いというメリットがあるそうです。LPからの板起こしならぬ、テープ起しというものになるのかもしれません。こちらには「ペトルーシュカ」ではなく、同年56年に同じオケで収録された「火の鳥」組曲が併録されていますが、こちらも2トラックのミュージックテープから起こされています。

通常のCDはマスターテープからダイレクトに起こされているわけですから、これはそれをさらにコピーしたテープからの起しになるわけで、その分当然、音質は鈍ってしまうことになります。ところが、一旦テープにトランスファーされた効果なのか、マスターテープからのダイレクトのCD化に比べると、一見豊かな響きに改善されたかのように聴こえます。それも「鈍り」の一種の現象なのかもしれませんが。

それにしてもマスターテープからのダイレクトのCD化では、古い録音ほど豊かさが失われてしまうというのは、CDという音楽再生メディアの宿命なのでしょうか。もちろんLPに比べれば、CDは相対的にはメリットの方が大きいのはわかっているのですが...。このテープ起しのCDを聴いて、改めてCDの音質について考えさせられました。

プロ仕様のマスターテープからのCD化だけではなく、この盤のように当時一般向けに市販されていたLPやオープンリールテープからCDへのリマスターも現在行われています。特性的には明らかにマスターテープより劣化してしまう、そのリマスターの方が音が良いこともあるというのは、一見オカルトを思わせます。特性だけでは解明できない音質上の問題が21世紀の現在、オーディオの再生音に関しては、なお存在するというのは面白いと思います。

ただ、冷静になって聴いてみると、やはりマスターテープから起こされたCDの方が当然、情報量は多いのがわかります。2トラックテープからのテープ起こしの盤は、より豊かな響きになって聴きやすくなっている反面、全体がモノトーナスに均質化されてしまっています。私見では、オープンリールからの復刻とマスターテープからの復刻を比べると、一長一短といったところです。ここはマスターテープから起こされたSACDを是非とも聴いてみたいところです。



『春の祭典』、『火の鳥』 モントゥー&パリ音楽院管弦楽団(平林直哉復刻)
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追記:

その後、再度テープ起こし盤とマスターテープからのダイレクトCD化盤を聴き比べてみました。そうしたら、何とマスターテープから起こしたオリジナルのCD化は、昔懐かしいハイ上がりで軽めの英デッカサウンドがそのまま引き継がれているのがわかりました。英デッカサウンドはLP用のカッティング原盤の音質に由来するのかと思っていましたが、マスターテープからのダイレクトのデジタルリマスターでも同じ傾向の音質になるというのは意外でした。もしかしたら、マスターテープからではなく、カッティング原盤からのリマスターかと思えるほどです。

ところがミュージックテープから起こされたグランドスラム盤を聴き直してみるとダイレクトリマスターに聴かれた脆弱さが随分と修正されて聴こえるのがわかりました。打楽器の打ち込みの懐もだいぶ深く聴こえるようになりました。当初、ダイレクトリマスターに比べ、一長一短と書いたテープ起こし盤ですが、あらためて聴いてみて、その実力に感心させられました。一長一短と書いたのは、昔聴いたLPにはダイレクトリマスター盤の音の方が近いので、懐かしさも手伝ったせいかもしれません。これは昔聴いたLPの音とは異なりますが、CDで聴く限り、実力はテープ起こし盤が数等優ります。
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