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ストコフスキーのCBSステレオ録音集成 [クラシックCD]

ストコフスキーがCBSコロンビアレーベルに残したステレオ録音がボックスセットに集成されました。全10枚はオリジナルLP通りのカップリングで、ジャケットもオリジナルと同じ紙ジャケットに収録されています。これで全10枚がレギュラーCDわずか1枚ほどのバジェット価格です。余談ながら米CBSのLPジャケットデザインのアートディレクションは他社に抜きん出たセンスの良さを見せていましたが、CDになってから失われてしまったのは残念なことです。それがこうして復活したのはうれしいことです。

ディズニーのアニメ「ファンタジア」ですっかりストコフスキーの虜になってしまった私ですが、ステレオ時代のストコフスキーのLP体験は英デッカのフェイズ4録音が中心で、英デッカ以外のストコフスキーの録音にはファンの私としても、そのレパートリーに正直なところ食指はあまり動きませんでした。ところがここにきて往年のクラシック録音のデフレ化という思いもよらなかった事態が起こり、英デッカ以外のストコフスキーのステレオ録音がまとめて聴けるようになりました。

けれどもそれらはLP時代にはストコフスキーの演奏としては積極的には聴きたいとは思っていなかったレパートリーが多く含まれています。さてそれを実際に聴いてみた感想は?



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Leopold Stokowski-the Columbia Stereo

Leopold Stokowski-the Columbia Stereo

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Sony Import
  • 発売日: 2012/08/07
  • メディア: CD


全10枚の構成は、歴史的邂逅と謳われたかつて常任指揮者を務めたオケ、フィラデルフィア管を振った60年録音の2枚、自身のオーケストラ、アメリカ交響楽団と入れた60年代中頃の2枚、そしてストコフスキー最後の録音になった最晩年76-77年のロンドンのレコーディング専用オケ、ナショナルフィルとの6枚という内容です。

・ファリャ「恋は魔術師」、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」抜粋

フィラデルフィア管との歴史的邂逅の2枚のうち一枚はワーグナー「トリスタンとイゾルデ」抜粋(第三幕の音楽と愛の死)とファリャ「恋は魔術師」という意表を突いたカップリングです。せっかくフィラデルフィアだったら、他の曲があったのにというのも正直な感想です。実際、聴いてみると、やはりストコフスキーの個性の前ではフィラデルフィアの特徴もマスクされてしまい、他のオケと変わらないという印象もあります。それでも60年というこの時代のフィラデルフィア管には、40年制作の「ファンタジア」に聴くストコフスキー常任時代の面影がかすかに残されているのが懐かしいところです。

ファリャのソロ歌唱にはシャーリー・ヴァーレットが起用されています。同じ黒人系ということもあり、ほぼ同時期にこの曲をライナー盤で録音しているレオンタイン・プライスとの比較が興味を惹きます。結果はヴァ―レットの方は本来の伸びのあるオペラティックな美声を生かした強調感のない素直な歌唱で、それに比べプライスは地声も交えてジプシーらしさを強調した歌い方をしています。プライスがライナーでヴァ―レットがストコフスキーという組み合わせはイメージとしては逆のような気もするのですが。

・バッハ ブランデンブルク協奏曲第5番、3つのコラール前奏曲

フィラデルフィアとのもう一枚はバッハ集でストコフスキーの十八番のトランスクリプションからコラール前奏曲を3曲収録。3曲だけですが、ステレオで聴けるフィラデルフィアとのストコフスキーのバッハのトランスクリプションはこれだけなので貴重です。カップリングはこれまた意表を突いたブランデンブルクの5番。ストコフスキーのバッハにブランデンブルクの5番があったというのは、すっかり忘れていました。しかもフィラデルフィアで。

ソロはピアノではなくこの時代には珍しいチェンバロを使用。もちろんソロヴァイオリンとフルートはモダン楽器。ピリオド楽器によるこの曲に親しんだ耳には、ソロよりもゴージャスなバックのストリングスの方に耳がいきます。

それにしてもせっかくフィラデルフィアを指揮したバッハだけに、トッカタータとフーガなどもフィラデルフィアとのステレオ録音で聴きたかったところです。フィラデルフィアとのステレオ録音によるバッハのトランスクリプション集が残されなかったことが悔やまれます。


・ベートーヴェン「皇帝」。グールド(ピアノ)

手兵のアメリカ交響楽団と入れたこの録音は、グールドファンでもある私としては既に所有していた一枚でした。グールドはベートーヴェンの協奏曲を全曲録音していますが、共演の指揮者は1番がゴルシュマン、2番から4番の3曲はバーンスタインでした。永年グールドの録音のプロデューサーを務めたカズディンが、5番は何故わざわざストコフスキーを起用したのかというのは不思議な気がします。共にそれぞれ異なる方法ながら通常とは異なるやり方のデフォルメを得意とする両者を組み合わせてみたかったのでしょうか。

結果は通常聴こえないオケのパートがヤケに明瞭に聴こえたりするところなど、いつものストコフスキー節全開。グールドの細部を誇張したマニエリスティックな弾き方もいつも通り。ただこうして改めて聴いてみると、ストコフスキーの強調癖とグールドの誇張癖は、やはり本質的には異質のものであることがわかります。けれどもここでは異質なその両者がコントラストしながら不思議な調和を見せているのも事実です。テンポの指定はグールドに従っているわけですから、ストコフスキーとしては精一杯グールドに合わせているつもりなのかもしれません。当初話題になった22分弱というグールドが指示したという、その第一楽章の遅いテンポですが、ル―ビンシュタイン、バレンボイム盤は22分半というこれよりさらに遅いテンポですし、今となっては決して遅すぎるというほどのテンポには感じられません。にもかかわらず、この演奏が異様に聴こえるのは、やはりグールドとストコフスキーならではのマニエリスムに起因するのかもしれません。

この演奏を単なるゲテモノととるか、個性的な快演ととるか聴く人の判断は微妙でしょうが、長いレコーディングの歴史の中でこういうユニークな演奏が残されたというのは、私には非常に興味深く受け取れます。グールドとストコフスキーというそれぞれ異なる稀代の個性が出会ったこの演奏には、後ろ髪を引かれるような不思議な魔力が感じられます。

・アイブズ 交響曲第4番・他

アメリカ交響楽団とのもう一枚は交響曲第4番を中心に合唱曲と管弦楽曲を交えたアイブズ作品による一枚です。70分弱という収録時間はLP1枚に入っていたのかしら? アイブズはそのコラージュや微分音などの手法により前衛的な現代音楽の先駆者となった一人ですが、その音楽は聴いていて決して面白いものではありません。今回は全10枚のうちの一枚として現代音楽も積極的に紹介したストコフスキーのスーヴェニールとして聴く意義にとどまりました。

以下の6枚はストコフスキー最晩年の録音で録音専用のロンドンのナショナルフィルを振っています。我が家のタンノイで聴くと少しハイ上がりな音質ながらも、アナログ最後期の76-77年録音にふさわしい見通しの良い音場感を備えた安定したステレオ録音で、最晩年のスッキリとアクの取れたストコフスキーの演奏にはよくマッチしています。これら最晩年のストコフスキーの演奏には、従来のストコフスキーの特徴だったデフォルメ(踏み外し)がほとんど陰を潜めているのですが、それでもストコフスキーならではの味わいの濃さは残されています。今回聴いた10枚の中では、今までほとんど耳にすることのなかったこれらナショナルフィルとの6枚の最晩年の演奏が思いがけずもいい演奏だったのは収穫になりました。


・チャイコフスキー「オーロラの結婚」

ナショナルフィルとの録音ではこれだけはカーラ盤で既に所有していた一枚で、今回はオリジナル通りに別の一枚に収録されているトランスクリプション集とカップリングされていました。「オーロラの結婚」はディアギレフが「眠りの森の美女」全曲の中からストーリーに関係なく選びだし曲をギャラパフォーマンスとして一幕に仕立て直したものです。この演奏では本来の眠りの森の美女とはまた別の華麗なショーピースとしての曲の一面が、ストコフスキー一流の手練手管によって浮き彫りにされています。

・トランスクリプション集

ストコフスキー自身の編曲を集めたアンコールピース集はすでに何種か録音されていますが、最晩年のナショナルフィルとのこの一枚は晩年のストコフスキーの好みなのか、ショパンのピアノ曲やショスタコーヴィチの前奏曲とフーガからの1曲などなど、一風変わった選曲です。このストコフスキー最後のトランスクリプション集のジャケットがストコフスキーの後ろ姿であるのは何か象徴的です。編曲自体の一つ一つはどうということのない編曲なのですが、まとめて聴くと、やっぱり面白い!! こういうエンターテイメントの面白さはストコフスキーからでしか聴くことができません。


・ビゼー「カルメン」組曲、「アルルの女」組曲

元来オペラと劇音楽だった作品から抜粋して組曲にまとめられた作品だけに、ストコフスキーで聴くと映画音楽かムードミュージックみたいに聴こえるところが面白いところです。ストコフスキーらしいデフォルメはこんな曲でも抑えられていますが、「アルルの女」のパストラールなど前後の主部がカットされた中間部のみの演奏で、最後の最後までストコフスキー流の改編が施されていたのがわかります。

・メンデルスゾーン「イタリア」交響曲、ビゼー 交響曲

メンデルスゾーン「イタリア」交響曲とビゼー若書きの交響曲とのカップリングで、ストコフスキー最後の録音になったものとのことです。共にほとんどデフォルメは見られないものの、録り直しなしの一発で収録されたというビゼーの交響曲のフィナーレの推進力など見事です。

・ブラームス 交響曲第二番、悲劇的序曲

デフォルメが見られないといえば、このブラームスの「悲劇的序曲」と第二交響曲のカップリングもそうです。何故ブラームスをストコフスキーで聴かなければならないのか、という疑問を払しょくしてくれるかのような、最晩年のストコフスキーらしいケレンのないしみじみとした演奏です。ブラームスがちょっとラフマニフみたいに聴こえるのはこの人ならではの面白さです。

・シベリウス 交響曲第一番、トゥオネラの白鳥

シベリウスの第一交響曲と「トゥオネラの白鳥」のカップリングで、シベリウスのシンフォニーの中で何故一番が選ばれたのかとも思われますが、まだ少しチャイコフスキー風の華麗さの残るこの交響曲はストコフスキーには良く合っていたことがわかります。トゥオネラはストコフスキーがSP以来何回か録音してきた曲ですが、最後のこの演奏はオケの細部の活かし方が絶妙で、今回聴いた中でも思いがけない拾い物になりました。私にとってこの曲の演奏としては、バルビローリ盤と双璧の出来ですが、最晩年のストコフスキーのこの曲の演奏は意外にもそのバルビローリの表現に近接しています。バルビローリはストコフスキーとはずいぶんと個性の異なる指揮者ですが、共に英国人ではないながらもイギリスで活躍したという共通項がこの二人の背後にはある種の共通性として働いていたのかもしれません。


というわけで全10枚は予想に反して、とても面白く聴けました。最晩年のストコフスキーはアクが抜けてここまでスッキリしていたのかというのも新しい発見がありました。それでも決して枯れたというほどではなく、相変わらず映画音楽を聴くようなファンタスティックな味わいの濃さを聴かせてくれているところは、さすがにストコフスキーの面目躍如です。先のRCAセットでは、スタンダードな曲では晩年のストコフスキーはケレンが見られずその分面白くないという印象を書きましたが、これを機会にもう一度RCAセットの中のベートーヴェン、ブラームスやチャイコフスキーの交響曲を聴き直してみようかと思います。



レオポルド・ストコフスキー/ザ・コロンビア・ステレオ・レコーディングズ(10CD)
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