ファジル・サイの「展覧会の絵」 [クラシックCD]
2008年のファジル・サイの来日に際しては、おっかけよろしく二晩のコンサートに出かけました。その折の公演曲が2012年の今頃になってようやくCDになりました。二晩に分かれていたプログラムの中からムソルグスキーの「展覧会の絵」、ヤナーチェクのピアノソナタ、プロコフィエフのピアノソナタ第7番が一枚にまとめられた選曲です。
輸入盤は同じプログラムが丸々収録されたコンサートのDVDがオマケについています。国内盤はDVDは別売になっていますが、輸入盤はDVD付きで国内盤一枚以下の価格です。どちらを選ぶかは日本語解説が付くか付かないかのニーズの違いによると思われますが、私は輸入盤で購入しました。私はAV派ではないので、もちろんお目当ては音楽のみのCDの方ですが。
ポスト・グールドの世代に属するサイのタッチはクラシックの伝統的なピアニストとは異なる独特のものなので、ピアニストというよりはキーボード奏者としての面影が強く感じられます。CDのジャケットでお馴染みの童顔からは想像のつかない巨体の持ち主であり、その巨体から繰り出される剛毅なピアノの打鍵は凄まじい威力に満ちたものです。その一方でモーツァルトではあれほどピュアできれいな音も出せるのです。
こうしたサイの伝統的な奏法から外れた剛毅な打鍵でキーボード曲として弾きこまれた「展覧会の絵」が面白くないわけはありません。この曲はラヴェルに対してオーケストラ編曲を刺激したのも頷けるように、ムソルグスキーの原曲自体がオーケストラへのスケッチみたいなところがあります。そうした曲をサイは完結したキーボード曲として見事に再構築しています。それは耳の御馳走とも言うべき、一つのエンターテイメントとしての楽しみを伝えてくれるものです。実演同様に第三プロムナードの最後の三音はプリペアードで弾かれているのもお楽しみの一つです。
併録のヤナーチェクのソナタの静寂に包まれた哀感と怒りの表現の深さも申し分ないものだし、プロコフィエフのソナタの打楽器的連打の凄まじさも現状のピアニストでサイに敵う者はいないかもしれません。
ということで、このCDはコンサートの際の印象がそのまま蘇った期待通りのものでした。
さて、この後「展覧会の絵」をポゴレリッチで聴き直してみました。ポゴレリッチのこの曲の演奏は細部のデフォルメも辞さない、ある意味イビツな表現主義的演奏で、それがムソルグスキーのこの曲のグロテスクな一面を深く抉り出しています。しかもキーボード曲としてこの曲を再現したサイとは異なり、ポゴレリッチの行き方はあくまでピアノ曲としての表現の中で突き詰められたものであり、この曲はスケッチではなく完結したピアノ曲であることを改めて認識させてくれます。ポゴレリッチのこの曲の演奏がピアノ曲として完結したものであるというのは、実は今まで気づかなかったことです。ポゴレリッチを聴くと、サイのこの曲の演奏はピアノではなくシンセサイザーでも良かったのではと、ふと思ってしまいました。そう思わせるのも、ポゴレリッチとは異なるサイのこの曲のユニークな演奏の賜物なのかもしれませんが。
ムソルグスキー:展覧会の絵、プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番、ヤナーチェク:『街頭にて』 ファジル・サイ(+DVD)
『展覧会の絵』、ほか ファジル・サイ
輸入盤は同じプログラムが丸々収録されたコンサートのDVDがオマケについています。国内盤はDVDは別売になっていますが、輸入盤はDVD付きで国内盤一枚以下の価格です。どちらを選ぶかは日本語解説が付くか付かないかのニーズの違いによると思われますが、私は輸入盤で購入しました。私はAV派ではないので、もちろんお目当ては音楽のみのCDの方ですが。
ポスト・グールドの世代に属するサイのタッチはクラシックの伝統的なピアニストとは異なる独特のものなので、ピアニストというよりはキーボード奏者としての面影が強く感じられます。CDのジャケットでお馴染みの童顔からは想像のつかない巨体の持ち主であり、その巨体から繰り出される剛毅なピアノの打鍵は凄まじい威力に満ちたものです。その一方でモーツァルトではあれほどピュアできれいな音も出せるのです。
こうしたサイの伝統的な奏法から外れた剛毅な打鍵でキーボード曲として弾きこまれた「展覧会の絵」が面白くないわけはありません。この曲はラヴェルに対してオーケストラ編曲を刺激したのも頷けるように、ムソルグスキーの原曲自体がオーケストラへのスケッチみたいなところがあります。そうした曲をサイは完結したキーボード曲として見事に再構築しています。それは耳の御馳走とも言うべき、一つのエンターテイメントとしての楽しみを伝えてくれるものです。実演同様に第三プロムナードの最後の三音はプリペアードで弾かれているのもお楽しみの一つです。
併録のヤナーチェクのソナタの静寂に包まれた哀感と怒りの表現の深さも申し分ないものだし、プロコフィエフのソナタの打楽器的連打の凄まじさも現状のピアニストでサイに敵う者はいないかもしれません。
ということで、このCDはコンサートの際の印象がそのまま蘇った期待通りのものでした。
さて、この後「展覧会の絵」をポゴレリッチで聴き直してみました。ポゴレリッチのこの曲の演奏は細部のデフォルメも辞さない、ある意味イビツな表現主義的演奏で、それがムソルグスキーのこの曲のグロテスクな一面を深く抉り出しています。しかもキーボード曲としてこの曲を再現したサイとは異なり、ポゴレリッチの行き方はあくまでピアノ曲としての表現の中で突き詰められたものであり、この曲はスケッチではなく完結したピアノ曲であることを改めて認識させてくれます。ポゴレリッチのこの曲の演奏がピアノ曲として完結したものであるというのは、実は今まで気づかなかったことです。ポゴレリッチを聴くと、サイのこの曲の演奏はピアノではなくシンセサイザーでも良かったのではと、ふと思ってしまいました。そう思わせるのも、ポゴレリッチとは異なるサイのこの曲のユニークな演奏の賜物なのかもしれませんが。
ムソルグスキー:展覧会の絵、プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番、ヤナーチェク:『街頭にて』 ファジル・サイ(+DVD)
『展覧会の絵』、ほか ファジル・サイ
2012-09-23 15:17
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